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なんば駅に着いてから


 タクシーを停めて乗りたい人は手を挙げて合図するのが一般的やけれどそうでない人もいて、とくに急いでいる人とか酔ってる人は全身でそんな感じ。そんなふうに人を見ることは最近身についたことで、そう思うと、どれだけ人は言葉以外で話しているのかと途方もない気持ちになる、もしかしたら髪型とか服装とかでも十分話しているかもしれない。
 「一番近くのJRの駅まで」身なりを美しくしてる妙齢の女性が乗り込んで、息切れと一緒に言った。「ここやったら天満ですかね天満やったらぐるり回らないとあかんのでちょっと時間かかりますけどいいですかね」「ごめん近いけどじゃあそこの中崎町で」「全然構いません急ぎですね?」「中崎町は谷町線よね。じゃあ大丈夫いや!大丈夫じゃないわねだって新今宮に行かないといけないから勘違いしてた」「じゃあこのまま大阪駅いきましょうか」「もういいやこのままなんば駅行こう。そこから私南海乗ります。だって環状線だと半周する格好になるでしょ普段だったらいいのだけど今日は急いでるから」「はい急ぎます」タクシーで急げと言われたとき、ベテランの運転手は交通法規の中で急ぎなさい、と言う。車線変更を何度も何度もするとかは良いが、信号無視などはしなくて良い。これが本当に難しい。と、女性がぽつり「父が危篤って言われて。こんなことってあるんですね」と言った。黒目が二重になる気持ちがした。女性は「たとえば間に合わなくても、それはそれでしょうがない」と言うけど、そんなことってない。全力の上でそれは仕方がないけど、でも間に合った方がいい。その人はその人のやり方でどうか納得して欲しい。彼は間に合わなかったことしかない。みんな絶対先に行ってしまう。
 がんがん車線変更してアクセルを踏んで踏んでする、ばかばかクラクションを鳴らして横付けしてくるベンツは何かが気に障ったのか、車の中でバフバフなんか言ってるけど、本当に浅ましいやつだと思う。こちらは父が危篤である。運転中にもスマートホンを触らないと気が済まないゆとり運転の軽自動車については、いまのような大事な時くらいスマートホンをやめてきっちり運転に集中してほしいと思う。こちらは父が危篤だから。余計でもなんでもない、彼は彼の気持ちも乗せてしまってなんばのでっかい横断歩道交差点に車を停めて、「こっからやったら一番近いですから!ありがとました!」のようなことを言ったつもりで、どうだろう、南海なんば駅から新今宮までは電車で二分。女性はヒールで走っていった。必ず間に合うと思った。もしかしたら、事実みたいなものは全然どうでもいいかもしれない。こちらは全然大丈夫です。クラクションの音が気にならない。ダイコクの売り子の声がものすごく美しい。キャベツ焼きの匂いがする。あとは人がものすごく居てる。

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