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レイト・ナイト


 じゃあ塩で。塩にはマヨネーズはいらない。鰹節と青のりはかけてください。もうひとつはソースマヨで、それにも鰹節と青のり。他にはなにがあんの? ああしょうゆ。しょうゆはじゃあ六個入りで、鰹節と青のり。え? もう着くからさあ。早くして。なに? だから八個入りがふたつって言ってんじゃん。早くしろよ。早く! と、ここで後部座席の若いサラリーマンは叫ぶので、彼は運転についての発言だと思って「すみません」と言った。バックミラーのサラリーマンとなかなか視線が合わない。「曲がるのってどこの交差点でしたっけ」ともう一度聞く。バックミラーのサラリーマンはエアーポッズをしていて視線は窓の外。だからもう着くって。だから八個入りふたつと六個入り。六個入りはしょうゆで鰹節と青のりは入れてって。もう着くってだから早くしろよ。たこ焼きひとつ買うときの、最大の偉そうさだなあと思い彼はもう一度聞く。「どこの交差点を曲がるんでしたっけ」サラリーマンはエアーポッズを片耳外して眉毛をハの字にして「あ? 淀屋橋」と言った。「淀屋橋ですね、わっかりましたあ」と彼は言い、バックミラーのサラリーマンはきっと疲れているのだ、もしくは上司にいびられて仕方がないのだ、フットサルで負けたのだ、賭け麻雀で手込めにされたのだ、大和川で溺れかけたのだ、ガールズバーでぼったくられたのだ、出会い系アプリですっぽかされたのだ、政治に騙されたからこんなに怒っているんだと溜飲を下げた。サラリーマンは降りてすぐにたこ焼き屋に向かわないで全然ガードレールに腰かけて電話しているので、冷めるで? 彼は思っていま全然腹の立たないことに不思議だった。理由はまだ全然わからないまま。
 はっはっは。今日京都に猿を見に行って本町なんやけどいま。いまから一分後、もう着くから降りてきといて。と言うハットのホスト風はエアーポッズで話した後、運転手さん、あと五分くらいで着くっしょ? 時間早めに言うとさあ、だいたいちょうどの時間になること多いよね。と言った。彼は「そうすね。グーグルでしたらあと四分って出てます」敬語と馴れ語のちょうど中間くらいが口から出てくるので不思議。目的地に着くと、スエット上下の女性ふたりが居て、ひとりはなにも被っていなかったがひとりはシアトルマリナーズのキャップを被っていて刺繍が街灯に光って綺麗だった。三人で後ろに乗って、じゃあなんばのマルハンまで! 「はいよう!」元気が良くてこちらも元気になる。今日はさあ、だから京都まで猿を見に行ったけどその猿が怒ってこちらの腕をつかんでこようとするのね。たぶんこっちの猿にばっかり食べ物を放っていたからなんだけど、もう怒ると全身でぎゃーん! って金網だったわけで、むっちゃくちゃ怖かったわあ。そしてとても癒されました。休みに京都の猿っていうのもいいよ、みたいな話を楽しそうにしてる。あとは、わたしたちふたりはあなたの誕生日だから今日は一万円を使いに行くけど、それ以上は使わないからよろしく、みたいな女性からの念押し。誰かはわからないけど衣類の生乾きの匂い、香水、エアーポッズと長いネイルの当たってカチカチ言う音。派手だね、千日前はやっぱり派手だね、派手なとこに来るとさあ、ちょっと、自分も頑張らなきゃ、みたいな気持ちになるよね、とひとりの女性が言った声がその日はずっと耳に残っていた。ちゃんとごはん食べてんのかなあ。コンビニ以外の。運賃は千七百円で、運賃はもうひとりの女性が払って、若いホスト風は「これでジュース飲んでください」と五百円玉を置いていってくれた。アムザ1000のネオンの前で、別に光りたくない感じの反射が五百円玉からしてた。気が散る生活のなかで、ホスト風のあのライトな会話が女性には気持ちいいのじゃないか。大丈夫っすよ。あーしたち、ないなーと思ったらすぐ切るんで。まあ今日は行こうよ。一万円使いに行こうよ。ありがとね。運転手さん、頑張ってくださーい。「ありがとまーす。忘れもん大丈夫ですかー」

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