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100年前に生まれていたら、どんな半生だったのだろうか?

本日、50歳になりました!

おめでとうございます。ありがとうございます。
なんやかんやで、人生の節目の50歳になってしまいました。
この年になると、「自分の誕生を祝ってもらいたい」という感情よりも、「今まで生かしてくれてありがとう」という感謝の気持ちが大きくなってきますね。

と、いうことで今日は、私の50歳の誕生日に、少しでも皆様を楽しませることができるnoteネタをアップしようかと思います。

とはいえ、元ネタあるので、最初にゲロっておきます。笑
野水さんのこのネタをみて、自分の誕生日にマネしよう!と心に決めておりました。


100年前、1873年に原田家に生まれたとシミュレーションしてみましょう。

ちなみに、原田家って、川越の中ではかなりのお金持ちだった模様。実際に川越の歴史書の中にも色々と情報があるらしいので、シミュレートしやすいのですが、今回はあくまで妄想で考えたいと思います。

ちなみに私自身の出自は分家(じいちゃんが長男ではないので、近所で家を立てたらしい)なのですが、1873年(明治6年)には、まだ別れていないので、原田家の本家筋に産まれたボンボンの長男、という設定にしたいと思います。

ちなみにじいちゃんの家は、今はゲストハウスになっているようです。なお、わたしの父親は家を飛び出た(まぁいわゆる勘当)ので、遺産も何もありません。
それどころか、父親は借金4,000万円を残して、天国に行きました。(遺産相続放棄、大変だった。。。)


誕生:1873年(明治6年)12月9日

川越の名家、原田家の待望の長男として生まれる。
原田家って、根っからの商売人らしいので、江戸から明治に元号が移り、年貢の納先が川越藩から明治政府に変わったという時代の変遷に、うまく立ち回って、財を増やしているハズ。

すでに川越藩内でも有名な老舗米問屋が、時代の変遷に合わせて「第二の創業」みたいな状態なんだと想定。想定するなら、星野リゾートの星野家か、ファーストリテイリング(ユニクロ)の柳井家の長男に産まれたような感じだろうか、、、(いや、飛躍しすぎw)

どちらにせよ、待望の長男誕生で川越の街中が目出度いムードになっていると妄想!


幼少期:1873年(明治6年)〜1879年(明治12年)

さて、この時代は廃藩置県で川越藩から川越県、入間県、熊谷県と県の合併が繰り返されていた頃、やっと明治9年に埼玉県に統一化されるが、それまでは、きっと住民の間では、「また、お上の連中が騒いでらぁ」くらいの感覚でいたことでしょう。

そんな行政がグタグタしていた時代だからこそ、商人たちはビジネスチャンスを狙って仕事をガンガンしていたはず。

そんな家庭環境に育てられているのだろうから、両親は仕事しっぱなし、乳母に育てられているんじゃないかな。そんな、親の愛情を感じられない中でも豪商の跡取りとして、読み書きそろばんなんかも幼少期から叩きこまれていたハズ。

明治になって小学校制が敷かれているが、金持ちのボンボンだから、きっと小学校入学前に教育に金をかけていたんでしょうね〜


小学校期:1880年(明治13年)〜1885年(明治18年)

明治も13年まで立つと安定し、、、と言いたいところですが、どうやらそんな事もないようです。

世の中では新政府の取り締まりが一層激化し、それに反するように自由民権運動が進んでいた時期。まさに「板垣死すとも自由は死せず」で有名な板垣退助暗殺未遂事件が起きていた時期。(ちなみに暗殺は未遂で、実際には板垣退助は生きて政治活動を続けてました。)

おそらく川越の街も新時代の激動が続いていたことでしょう。もしかしたら「るろうに剣心」に出てくるような感じだったのでは?

そうなると、原田家って、米問屋として財をなしつつ、こんな動乱期にますます財を築いていく、、、まさに武田観柳的なポジションだったかもしれません。(これも、るろうに剣心みてないと分からないネタ)

そんなボンボンな小学生。私はきっと性格歪んでいたんだろうな〜、なんて想像しちゃう。「え?きみんちは電気まだきてないの?やだね〜貧乏人は、、、ケラケラ」
小学生の自分が、こんな自分に遭遇していたら、絶対殴ってる!苦笑


中学&高校期:1886年(明治19年)〜1891年(明治24年)

この時期になると江戸時代の名残も消え去り、もはやヨーロッパの強豪国と肩を並べる勢いで成長している頃でしょう。「もはや戦後ではない」なんて言葉があったけど、同じように「もはや江戸時代ではない」という感じの高度成長が実感できる時代だったと想像します。

日本全体としては繊維業が盛んで、みなさんもご存知かもしれない「富岡製糸場」を始めとした多くの工場が設立され、一気に資本主義国家になってきていた「時代の潮目」が感じられることだったでしょう。

そんな「日本の成長期」に「自分自身の成長期」が重なるのですから、100年前の思春期の原田さん、無敵感が半端なかったかもしれません。

特に金持ちボンボンで、鼻高々だったところに高度成長も加わっているのだから、もう怖いものなし!みたいなヤツだったと思います。
漫画で出てくる嫌味な同級生ポジションですよ!スネ夫ですよ!

うーん、なんか妄想した自分自身なんだけど、こいつ、気に食わない!絶対友達に慣れそうも無いような気がしてきた!笑
(想像したやつに嫉妬するって、どんな「高値の花子さん」だよ!www)


大学期:1892年(明治25年)〜1895年(明治28年)

明治時代なので、たぶん中等学校卒業したら大学へ、、、なんてルートはなく、おそらく家業のお手伝い、という所でしょう。

しかも好景気が続いていて、経済成長も家業の成長も著しい中、いきなりの業務量の多さに寝ても冷めても仕事、仕事、、、という状態だったと思います。

そんな社会人1年目が終わり、2年目に入るとき、川越の街に吃驚仰天、恐ろしい災害が発生してしまいました。世にいう「川越大火」です。

川越の中心街はこの火事によって多くは被災し、文字通りの焼け野原になっていたそうです。もちろん、お亡くなりになった方も多数いたらしいのですが、ここで死んでしまうと妄想が止まってしまうので、生き残ったと仮定して話を進めましょう。

この大火を生き延びた川越商人達は、この惨劇を繰り返さないために蔵造りの住居をこぞって建築したそうです。おそらく、明治に産まれた原田青年もこの復興に関与して、自宅の再建以外にも、ご近所の建築なんかにもお手伝いしていたと思います。

自分の父親もそうでしたが、なんか大きなプロジェクトが立ち上がると黙っていられる性格ではないので、「よっしゃ!俺が指揮とったる!」と立ち上がっている事が容易に想像できます。

うん、なんか嫌味なガキだと思っていたけど、100年前の自分、結構イイやつじゃない!(だから妄想だってwww)


青年期:1896年(明治29年)〜1902年(明治35年)

24歳から30歳くらい。まさに自分自身だったら「自分の青春時代」といっても過言ではない年代。

実をいうと、アタクシ、学生時代まではどちらかというと「陰キャ」であって、パーリーピーポーな人たちとは距離をおいていたんです。むしろ根城は秋葉原、という感じだったんです。

それが社会人になってから、仕事は忙しいけど充実してたし、三流大学卒というコンプレックスから勉強量もすごかったし、相変わらず女性にはモテなかったけど、初めて付き合う彼女なんかもいた。。。

って、自分語りしてもショウガナイですネ。気を取り直して100年前に思いを馳せましょう。

100年前だと、男性の平均結婚年齢が25歳程度らしいので、おそらく私も結婚していることでしょう。そしてお相手は、当時の商家の結婚だから、親が決めた協業相手、もしくは取引先の御令嬢だったと推測。

そして、この時代の平均出産数はなんと5.8人!
おそらく、100年前の青年原田もそれなりに子宝に恵まれていたことでしょう。ただ、当時は出産しても生き残る数が少なかったらしいので、おそらく3人位子供に恵まれ、仕事も忙しいながらも楽しく生きていたことでしょう。

なんだ、この勝ち組感!なんか、やっぱ、こいつと仲良く出来そうもないや。(だから妄想だって!)


壮年期:1903年(明治35年)〜1913年(大正2年)

もう若いとは言いにくい30代に突入!

日露戦争が起きたり、韓国併合、台湾併合を行って、ヨーロッパの強豪国と肩を並べようとする大日本帝国、、、人口も増える中、米問屋のお仕事もきっと忙しくなっていることでしょう。

そして、30代で家庭を顧みることなく仕事に明け暮れていた為、家庭には居場所がなく、近所の飲み屋に入り浸っていた事間違いない!

なんかヤツレた30代だぞ!100年前の自分!

特に時代は富国強兵。米問屋というお仕事も大切だけど、時代の最先端は製造業であり、軍事産業だったりしているはず。勝手に想像して今風に考えると、IT産業に憧れるけど、古い日本企業を経営していて、なんか憧れと現実の間で経営者として悩み続けている感じでしょうね〜。

あ、この年代になると父親も他界しているか、引退している可能性が高い。なにせ平均寿命が40代の時代ですからね。そうなると、急成長した起業を継いだ2代目社長のような感じでしょうか。(本当は江戸時代から続いている米問屋だから2代目じゃないけどね)

会社は順調だけど、その次の成長に悩んでいる二代目社長。なんか大変そうだな、100年前の自分、、、


中年期:1914年(大正3年)〜1923年(大正12年)

いよいよ突入40代!
当時の状況としては、元号が明治から昭和に変わり、第一次世界大戦が起きようとしているキナ臭い時代、、、

そして「大正デモクラシー」やら「大正ロマン」といったワードがある時代感。更には和風ファンタジーでは定番の世界観です。まさに鬼滅の刃や帝国華撃団が活躍していた時代ですね。(帝国華撃団はやや違う、、、www)

そんな大正時代ですが、多分皆さんに印象深いイラストといえば、これでしょう!

どうだ、明るくなっただろう

当時の平均寿命を考えると、この絵のモデルも年を取っているようで、実は若い可能性あり、、、と思って調べたみたら、なんと100年前の私と同い年!
(いや、100年前の同い年って、、、なんだかwww)

おそらく、同年代が活躍し、事業でも結果を残している中、自分は川越から出られずに、家業も成長しているものの、井の中の蛙状態でモヤモヤしたものを抱えていたはず。。。

狂騒と喧騒、成長と停滞、世間の荒波を新聞等で感じながらも、地元からは「足立要(原田家の屋号)のせがれ」とよばれ、ちやほやされながらも、「俺はもっとできるはず!東京でも商売できるはずだ!」などと深夜の小料理屋でクダを巻いていたんじゃないか、と推測。

ダメ人間から復帰してないじゃないか!100年前の自分!
もっとしっかりしてくれよ!


そして50代:1924年(大正13年)〜

さて。100年前の私もいよいよ50代。
平均年齢を考えても、そろそろ人生のゴールテープが見えてきた頃です。

日本は2年後に大正から昭和に変わり、時代の節目がやってくる感じでしょうかね。
100年前の自分も、今の自分もココからまた大きな転機が訪れそう!

さて、そろそろ100年前の自分から、今の自分に意識を戻してみましょうかね。

これから50代、人生の経験を踏んできて、できることも増えてはいるけど、体力的にはガタも来ているところ。自分の体力が続く限りは、とどまるよりは変化を楽しみたいなぁ〜なんて思います。

100年前だろうが、現代だろうが、いつの時代でも、どんな環境でも、楽しい人生を歩みたなぁ〜なんて思うばかりです。

これから50代に入りますが、皆様引き続きよろしくお願いたします。

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