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春のおしごと
わたしのなんて事ない暮らしは、誰かにとってスペシャルになるかもしれない。
ゆったりのんびり大自然を感じられていいねという人も多いけれど、シマの暮らしは中々忙しいんだぞ、と実は心の中で思っている。(意地悪ではなく、よろこびの雄叫びです。忙しくしてるのはごく一部だけかもしれないしね笑。)
毎年2月〜4月にかけては緑に追われる。
いちおう会社員なので、休日予定日の天気予報と睨めっこ。アオサ、ツワブキ、よもぎ、旬のものを海で山で摘む。帰宅したらそれを調理できるよう処理する。この処理作業が摘む時間の倍のを要するので、それを見越して時間配分をしないと目の下に熊が出没することになる。まぁ、これも含めてたのしいのだけれど。
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母に収穫の報告をすると、母も全く同じように緑の処理に追われていた。追いつかない…と嬉しそうな雄叫びをあげて笑。
いつからこれが習慣になったかは、全く覚えていないが、母の様子からわたしが生まれる前から母がしてきた事をしているのだと思った。きっと母も私と同じなんだと思う。
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記憶のない記憶。
わたしが何気なくやっていることがスペシャルな事になりうるとしたら、わたしの役割はこれを次の誰かに繋げたり、体験を共有することなのかもしれないな、と思った。もちろん味もね。
アオサは天ぷらと佃煮に、ツワブキは佃煮と煮物に、よもぎはお餅とお茶になりましたとさ。
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