The Economist, 2nd January 2020

どうして日本人の姓名は逆順となったのか

これからは英語でも日本語表記と同じ順となる

1月1日、語彙にまつわる小さな革命が日本中で生じた。関係省庁の新たな申し合わせにより、公文書において日本人の名前をローマ字表記する際の順番を反転すべしとのお触れが出された。従来、英語文書では西欧式に倣い、日本人の名前表記は名字が後とされていた。今後は姓が先に来ることとなり、さらには曖昧さ解消のため全て大文字表記にすることも認められる。この変更を支持する一人が日本国首相である。以降、本紙では彼を「Shinzo Abe」ではなく「Abe Shinzo」と呼称することにする。

他の新聞同様、我々は長いこと日本人名を西欧式順で記述する慣例に従ってきた(一方学術出版では日本式順を使用する傾向にある)。日本が変更を望むのなら、反対する理由がどこにあろう? 東アジア文化では一般的なことだが、日本でも常に姓を最初に置く。

変更を支持する人々を突き動かすのは国家的プライドだ。日本人の視点に立つと --東京在住のコメンテーター Peter Tasker は Nikkei Asian Review へ寄稿する-- 変更は「正しさと普通化」を代表している。地政学的にも文化的にもアジアの勢力が台頭している事実も重要なポイントになっている、と Tasker 氏は述べている。

日本の保守層は、日本文化の基本要素すら理解しようとしない西洋人の単なる利便性に沿って、自分たちの名前をあべこべに言い表すべき理由を見いだせずにいる。最近行われた世論調査によれば、約59% の日本人が姓-名に戻すことに賛成している。もっとも、皮肉なところもある。姓を後にすることを日本が最初に決めたのは、遡って明治時代、1870年代に外国人とのやり取りが生じたときだ。実はこれは、欧米帝国主義を押し止めたい国粋主義の改革派たちのポーズだった。

彼らの論拠では、日本の独立は、中国から輸入されて長いこと社会や家族生活の規範となっていた儒教思想の家父長主義を脱することによってのみ、確保できるものだった。儒教思想に代わる存在として、軍事から教育に至るまで西洋様式を速やかに習得し、西洋勢力を防ぐとともに西洋に尊重されることを目指すべしとされた。英語の姓名順は、改革パッケージのほんの一部だった。改革主義者たちは、当時西洋で流行していた社会進化論(強い社会のみが生き残るという思想)にどっぷり浸かっていた。うち一人の森有礼は、英語を公用語にすることすら提案している。

森の友人である福沢諭吉は1885年に論説「脱亜論」を著し、西洋文明は麻疹のようなものだと論じた。すなわち、滅ぼされない限りは強国になるために受け入れるべきである。中国と朝鮮は旧態依然とした文化のためにかえって西洋の侵略に独立を脅かされている、と福沢は述べた。そして、日本は中国や朝鮮との精神的および文明的つながりを断つべしと。後に振り返れば、ここから、日本特別視、更には軍国主義までほんの一歩だった(実際、様々な侮辱行為のひとつとして、日本の統治者たちは支配下の韓国人に元の名前を捨てて日本式にするよう強いていた)。

その後、中国の改革主義者や革命家が、福沢諭吉やその一派に影響を受けて中国語の変革や廃止を求めた。大作家である魯迅は1920年代に、中国を過去につなぎとめる儒教主義は、書き言葉に使われている古い中国語によって、無意識のうちに強化されている、と論じている。新しい言葉を、魯迅は求めていた。中国共産党の共同設立者である陳独秀は、数千にのぼる漢字の代わりに、ローマ字の使用を奨励している。

日本では、第二次大戦の敗北により、作家水村美苗が「日本語が亡びるとき--英語の世紀の中で」で断じた、日本の知識人が抱く自国語への劣等感、がいっそう酷くなった。作家のひとり志賀直哉は、開戦の咎すら日本語に求めている(彼はフランス語の採用を主張した)。

対照的に、安倍首相とその支持者たちは自己嫌悪と関わりを持たない。中国の台頭と日米同盟の不安定化に伴い、彼は、今こそ日本が再び自立して過去を尊ぶ時だと考えている。中国でも儒教主義の兆しが復活してきている。憲法を改正し、個人よりも家族を強調することを安倍氏は求めている。

東京のテンプル大学に所属する Jeffrey Kingston は、今でも名前順が「21世紀の日本にとって氏名にまつわる最大の問題」なのか、問うている。彼の答えは、言うまでもなく最大の問題は、夫婦別姓を禁じた法令であり、事実上ほとんどの場合、妻が夫の姓を名乗る制度である。安倍首相は伝統主義者かもしれない、けれども彼は女性の活躍を約束していたのではなかったか。

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