先日、このようなツイートが流れてきました。
出版社が勝手に小説に広告を挿入していた、というニュース。
このトゥルーマン・ショーじみたニュースを見て、私は素直に「羨ましい」と思いました。他人の作品を自分の好きなように改変できるなんて、そんなの最高すぎる。やりたい。やろう。
ということで、音楽評論に広告を挿入してみたいと思います。
さて、そもそも広告を挿入するには音楽評論を用意しなければなりません。が、私にはその人の音楽評論を勝手に改変することが許されている間柄の存在がいません。つまり、音楽評論を書ける友達がいないのです。
ということで、仕方なく自分で音楽評論を書くことにしました。以下に記したのが、くるり「感覚は道標」のレビューです。
人生で音楽評論というものを書いたことがなく、拙いものになってしまいましたがまあ仕方ない。これに、ランダムに出力された単語の広告を挿入していきます。
1つめ
まずはドレッシング。
普段からよく食卓に現れる調味料で、「日常」をテーマとした音楽評論との親和性は高いのではないのでしょうか。
広告を挿入したものがこちらです。
ノイズがすごい。邪魔すぎる。
急にハッピーターンを砕き出して情緒が不安定な文章になってしまいました。親和性とか関係ない。しかし、元ネタの
を超えるほどのアクロバティックさはありません。元ネタが強すぎる。
他の単語でも試してみます。
2つめ
続いては鉄。
考えてみれば人生で鉄の広告を見たことがないような気がしますが、まあなんとかなるはず。
広告を挿入したものがこちらです。
かなり無理矢理。「洗練」→「精錬」は詭弁感がすごい。
鉄の何を宣伝したらいいかが全くわからず、「鉄を、愛そう!」というかなり怖い文章になってしまいました。ただ、鉄の有益さについて多少は説明できているため広告として悪くないのではないでしょうか。
3つめ
3つめの単語はマラカス。
楽器であるマラカスは音楽評論とも相性がよさそうです。
そんなわけない。
このアルバムでマラカスは使われていないためが、楽器であるマラカスの特徴を全く活かせませんでした。マラカスさえ使ってくれれば……
日常生活でマラカスが現れるのはカラオケくらいで、意外と馴染みが深いわけでもない楽器ということに気づいてメキシコの人々の話にしてしまいました。冷静に考えれば、ほとんどのカラオケ店舗に大量のマラカスがあるのなんか面白くないですか?
4つめ
洗脳。易々と音楽評論に登場する単語ではないですが、こういう単語が出たからには仕方ありません、やってみましょう。
「感覚は道標」の8曲目に「馬鹿な脳」があり、ちょうどぴったりだったので段落を追加してみました。
自然といえば自然なのですが、こういう思想を持っていると思われかねないのが怖いです。
5つめ
最後はギロチン。処刑道具を音楽評論に忍び込ませましょう。
怖い。
分かってはいましたが、急にバイオレンスになってしまいました。平和な日常の話から急に処刑の話にするな。
ということで、音楽評論に広告を挿入してみました。
個人的には最後のギロチンの広告が好感触だったので、これから音楽評論を書くときにはギロチンの広告を挿入していきたいと思います。
それでは。