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音楽評論に広告を挿入してみよう!

先日、このようなツイートが流れてきました。

出版社が勝手に小説に広告を挿入していた、というニュース。

このトゥルーマン・ショーじみたニュースを見て、私は素直に「羨ましい」と思いました。他人の作品を自分の好きなように改変できるなんて、そんなの最高すぎる。やりたい。やろう。

ということで、音楽評論に広告を挿入してみたいと思います。




さて、そもそも広告を挿入するには音楽評論を用意しなければなりません。が、私にはその人の音楽評論を勝手に改変することが許されている間柄の存在がいません。つまり、音楽評論を書ける友達がいないのです。

ということで、仕方なく自分で音楽評論を書くことにしました。以下に記したのが、くるり「感覚は道標」のレビューです。

「感覚は道標」を聴いてまず感じたのは、気だるさである。気だるさの中でも、日常に宿る気だるさだ。基本的に同じような日を繰り返す日常、その断片を繋ぎ合わせたようなアルバムだと感じた。
「happy turn」はくるりらしい純粋なロックナンバーだ。本作はくるりのオリジナルメンバーが中心となって収録されたが、この曲は初期の曲よりも洗練された印象を与える。
「doraneco」は出来過ぎと思うほど日常の断片を表現している。とにかく平和なリフ、8ビートのベース、ブリッジミュートの効いたギター。特に展開がある訳でもなく一曲が終わる。この平和さこそがこのアルバムを象徴する。
この作品は、音楽人としてのくるりのアルバムである以前に、生活者としてのくるりのアルバムだと思う。このアルバムで表現される「日常」はくるり(のそれぞれのメンバー)の個人的なものではあるが、それは同時に私の日常でもあるし、あなたの日常でもあるのではないだろうか。つまり「感覚は道標」は、万人のそれぞれの日常を表現した、極度に個人的かつ普遍的なアルバムである。

人生で音楽評論というものを書いたことがなく、拙いものになってしまいましたがまあ仕方ない。これに、ランダムに出力された単語の広告を挿入していきます。


1つめ

まずはドレッシング

普段からよく食卓に現れる調味料で、「日常」をテーマとした音楽評論との親和性は高いのではないのでしょうか。


広告を挿入したものがこちらです。

「感覚は道標」を聴いてまず感じたのは、気だるさである。気だるさの中でも、日常に宿る気だるさだ。基本的に同じような日を繰り返す日常、その断片を繋ぎ合わせたようなアルバムだと感じた。「happy turn」はくるりらしい純粋なロックナンバーだ。本作はくるりのオリジナルメンバーが中心となって収録されたが、この曲は初期の曲よりも洗練された印象を与える。ハッピーターンといえば、砕いてサラダに入れると美味しいことで有名です。そのサラダにこのドレッシングを入れるだけで、こんなに美味しく出来上がる!
「doraneco」は出来過ぎと思うほど日常の断片を表現している。とにかく平和なリフ、8ビートのベース、ブリッジミュートの効いたギター。特に展開がある訳でもなく一曲が終わる。この平和さこそがこのアルバムを象徴する。
この作品は、音楽人としてのくるりのアルバムである以前に、生活者としてのくるりのアルバムだと思う。このアルバムで表現される「日常」はくるり(のそれぞれのメンバー)の個人的なものではあるが、それは同時に私の日常でもあるし、あなたの日常でもあるのではないだろうか。つまり「感覚は道標」は、万人のそれぞれの日常を表現した、極度に個人的かつ普遍的なアルバムである。

ノイズがすごい。邪魔すぎる。

急にハッピーターンを砕き出して情緒が不安定な文章になってしまいました。親和性とか関係ない。しかし、元ネタの

彼らがいた階段は休憩にはあまり適していませんでした。それでも休憩はできるので、5分間休憩してスープを作りましょう。

を超えるほどのアクロバティックさはありません。元ネタが強すぎる。

他の単語でも試してみます。


2つめ

続いては

考えてみれば人生で鉄の広告を見たことがないような気がしますが、まあなんとかなるはず。


広告を挿入したものがこちらです。

「感覚は道標」を聴いてまず感じたのは、気だるさである。気だるさの中でも、日常に宿る気だるさだ。基本的に同じような日を繰り返す日常、その断片を繋ぎ合わせたようなアルバムだと感じた。
「happy turn」はくるりらしい純粋なロックナンバーだ。本作はくるりのオリジナルメンバーが中心となって収録されたが、この曲は初期の曲よりも洗練された印象を与える。さて、「洗練」といえば「精錬」、「精錬」といえば「鉄」です。鉄は最も安定な元素で、非常に加工がしやすい金属です。鉄を、愛そう!
「doraneco」は出来過ぎと思うほど日常の断片を表現している。とにかく平和なリフ、8ビートのベース、ブリッジミュートの効いたギター。特に展開がある訳でもなく一曲が終わる。この平和さこそがこのアルバムを象徴する。
この作品は、音楽人としてのくるりのアルバムである以前に、生活者としてのくるりのアルバムだと思う。このアルバムで表現される「日常」はくるり(のそれぞれのメンバー)の個人的なものではあるが、それは同時に私の日常でもあるし、あなたの日常でもあるのではないだろうか。つまり「感覚は道標」は、万人のそれぞれの日常を表現した、極度に個人的かつ普遍的なアルバムである。

かなり無理矢理。「洗練」→「精錬」は詭弁感がすごい。


鉄の何を宣伝したらいいかが全くわからず、「鉄を、愛そう!」というかなり怖い文章になってしまいました。ただ、鉄の有益さについて多少は説明できているため広告として悪くないのではないでしょうか。


3つめ

3つめの単語はマラカス

楽器であるマラカスは音楽評論とも相性がよさそうです。


「感覚は道標」を聴いてまず感じたのは、気だるさである。気だるさの中でも、日常に宿る気だるさだ。基本的に同じような日を繰り返す日常、その断片を繋ぎ合わせたようなアルバムだと感じた。
「happy turn」はくるりらしい純粋なロックナンバーだ。本作はくるりのオリジナルメンバーが中心となって収録されたが、この曲は初期の曲よりも洗練された印象を与える。
「doraneco」は出来過ぎと思うほど日常の断片を表現している。とにかく平和なリフ、8ビートのベース、ブリッジミュートの効いたギター。特に展開がある訳でもなく一曲が終わる。この平和さこそがこのアルバムを象徴する。
この作品は、音楽人としてのくるりのアルバムである以前に、生活者としてのくるりのアルバムだと思う。このアルバムで表現される「日常」はくるり(のそれぞれのメンバー)の個人的なものではあるが、それは同時に私の日常でもあるし、あなたの日常でもあるのではないだろうか。つまり「感覚は道標」は、万人のそれぞれの日常を表現した、極度に個人的かつ普遍的なアルバムである。メキシコの人々の日常では、マラカスを振りまくる。君もマラカスを振りまくろう!

そんなわけない。


このアルバムでマラカスは使われていないためが、楽器であるマラカスの特徴を全く活かせませんでした。マラカスさえ使ってくれれば……


日常生活でマラカスが現れるのはカラオケくらいで、意外と馴染みが深いわけでもない楽器ということに気づいてメキシコの人々の話にしてしまいました。冷静に考えれば、ほとんどのカラオケ店舗に大量のマラカスがあるのなんか面白くないですか?


4つめ


洗脳。易々と音楽評論に登場する単語ではないですが、こういう単語が出たからには仕方ありません、やってみましょう。

「感覚は道標」を聴いてまず感じたのは、気だるさである。気だるさの中でも、日常に宿る気だるさだ。基本的に同じような日を繰り返す日常、その断片を繋ぎ合わせたようなアルバムだと感じた。
「happy turn」はくるりらしい純粋なロックナンバーだ。本作はくるりのオリジナルメンバーが中心となって収録されたが、この曲は初期の曲よりも洗練された印象を与える。
「doraneco」は出来過ぎと思うほど日常の断片を表現している。とにかく平和なリフ、8ビートのベース、ブリッジミュートの効いたギター。特に展開がある訳でもなく一曲が終わる。この平和さこそがこのアルバムを象徴する。
8曲目「馬鹿な脳」は悩み苦しむ心情を表現している。しかし、洗脳さえすればあなたの苦しむ気持ちは消え、そこには楽しいだけの世界が開けているのです!やろう、洗脳!
この作品は、音楽人としてのくるりのアルバムである以前に、生活者としてのくるりのアルバムだと思う。このアルバムで表現される「日常」はくるり(のそれぞれのメンバー)の個人的なものではあるが、それは同時に私の日常でもあるし、あなたの日常でもあるのではないだろうか。つまり「感覚は道標」は、万人のそれぞれの日常を表現した、極度に個人的かつ普遍的なアルバムである。


「感覚は道標」の8曲目に「馬鹿な脳」があり、ちょうどぴったりだったので段落を追加してみました。

自然といえば自然なのですが、こういう思想を持っていると思われかねないのが怖いです。


5つめ

最後はギロチン。処刑道具を音楽評論に忍び込ませましょう。

「感覚は道標」を聴いてまず感じたのは、気だるさである。気だるさの中でも、日常に宿る気だるさだ。基本的に同じような日を繰り返す日常、その断片を繋ぎ合わせたようなアルバムだと感じた。
「happy turn」はくるりらしい純粋なロックナンバーだ。本作はくるりのオリジナルメンバーが中心となって収録されたが、この曲は初期の曲よりも洗練された印象を与える。
「doraneco」は出来過ぎと思うほど日常の断片を表現している。とにかく平和なリフ、8ビートのベース、ブリッジミュートの効いたギター。特に展開がある訳でもなく一曲が終わる。この平和さこそがこのアルバムを象徴する。平和の対極といえば、処刑です。ギロチンによる処刑は痛みが少なく人道的!君もギロチンを使おう!
この作品は、音楽人としてのくるりのアルバムである以前に、生活者としてのくるりのアルバムだと思う。このアルバムで表現される「日常」はくるり(のそれぞれのメンバー)の個人的なものではあるが、それは同時に私の日常でもあるし、あなたの日常でもあるのではないだろうか。つまり「感覚は道標」は、万人のそれぞれの日常を表現した、極度に個人的かつ普遍的なアルバムである。

怖い。

分かってはいましたが、急にバイオレンスになってしまいました。平和な日常の話から急に処刑の話にするな。




ということで、音楽評論に広告を挿入してみました。

個人的には最後のギロチンの広告が好感触だったので、これから音楽評論を書くときにはギロチンの広告を挿入していきたいと思います。

それでは。


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