中越裕史さん「天職の見つけ方」・転職の3つの要素
>安定した仕事は幸せを約束してくれますか?
教育公務員は私の幸せを約束してくれない。
自分の幸せをつかみにいかないと。
私の幸せってなんだろう…。
>毎日嫌いな食べ物で幸せに生きられるか
これはあくまで例だけど、結構深刻で、
職業柄、栄養や身体作りをやってきて、
カレー、白米、ケーキ、いくら丼、たらこ…(書いてるとおなかすく)
食べたいものを食べたいと思わないようにして生活をしてきた。
ついつい、ストイックに食事制限をしがち。
ここほんとダメで、
身体の素直な欲を感じないようにしていた=鬱になりやすいよね
仕事も同じ。
毎日ジャンキーに囲まれて、ジャンキーの影響を受けて働いていきたいか…
毎日人権意識のない環境で働きたいか…
そんなの嫌に決まってる。
>せめて全部嫌いな仕事は辞めよう
全部嫌いじゃなかったから続けてこれたんだよね。
授業は好き。いくらでもアイディア湧くし、快楽物質でる。
でも、仕事量のコントロールが基本的にされていない職場だから、
勤務時間内に授業づくり(2割)とその他の仕事(8割)をこなすとなると
ものすごい集中力を要して、定時で上がってもヘロヘロで使い物にならない
軍隊マインドの先生たちとはもう一緒に居たくない
職場に依存・生徒に依存しているジャンキー先生たちとも一緒に居たくない人権意識の低い人と関わりたくない
それはつまり、
人権意識の高い人たちに囲まれたい、
人権意識の高いシステムの中で生活したい
ということだ。
もう一度NZやカナダで生活して、
自分が今も本当にそれを望んでいるのか、
心が喜ぶか、ここが適切な場所という感覚があるか
確かめてきた方がいいな。でもここでお金のブロックがかかるんだよなあ。
天職の3つの要素
①「内発的動機付け」好きという気持ち
②「自己決定要因」自分で選び決めること
③「意味への意志」自分にとって意味ある仕事
①「内発的動機付け」好きという気持ち
思考を促す仕組みづくり、
生活のあらゆる面からの自立へ向けた知識と技能を身につけることは
好きでとても楽しい
②「自己決定要因」自分で選び決めること
NZには自分で「自分の殻を破りたい」と決めて行った
NZで「大学へ行こう」と決めた
社会科コースだが、社会学から生活を扱える家庭科の免許取得を選んだ
生活を扱うならと日本の実力を見たくて虐待と貧困の現場で働いた
教員の労働環境には心身共に拒絶、学費を優先した←改善点は環境だ
③「意味への意志」自分にとって意味ある仕事
「思考を促す、多様性に気付く、自由になる」授業は
私がそうあり続けたい私の価値観そのもの。
それを授業で提供できるのは私にとってはとても意味がある。
「この仕事が向いているって言われても…。ちっともそれをやりたいとは思えないよ。」いくら客観的に向いていたとしても、自分自身がやりたいと思うかはまた別の話。結局自分がやりたいと思わなければ、人間なんて動けないものです。
話聴くの上手だよね、カウンセリングとか向いてるよね、
と言ってもらうことがある。
ADHD傾向があるからか、自分の頭の中は常に思考が駆け巡っていて、優先順位をつけるのも苦手だけど、人の話はすっと集中できる。
人の話を聴いていくなかで、
その人の言わんとしていることが見えてきて、
本人が課題を認識する過程は、
スリリングで、臨場感があって、ライブ感もあって、興奮する。
前に相談員をしていた時は、インプットのみ疲れをしていた。
教員をしていると、アウトプットのみ疲れをしている。
どっちも半々くらいでできたら、多分ちょうどいいんだろうな。
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