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ブレインスポッティング2回目と3回目の気づき

原宿カウンセリングセンターで、1回目のブレインスポッティング(トラウマ治療)を受けた時のターゲットは、過去の性被害⇒孤独育児をしていた時期の記憶だった。

1回目のブレインスポッティング後、
最近職場で受けたハラスメントと、過去の性被害の時の状況が似ていたことに気が付いた。職場でのハラスメントになぜあんなに強く拒否反応が出て動けなくなったのか、理由がわかった。

1週間、10日くらい経って、「あ、鬱抜けた」という感覚があった。


よし。この調子で、ライフラインチャートのどん底の記憶を全部手当てしてやろうと思い、2回目のブレインスポッティングをお願いした。

2回目のターゲットは、担任を受け持っているクラスにいた他害をしてしまう発達障害の生徒3名、発達障害の親1名、後にASDだとわかるパートナー1名の計5名から、フルボッコにあった1年間の記憶。生徒の他害のひとつが性加害で、過去性被害に遭って記憶を抑圧していた私は、ずっと頭の中にアラートが鳴り響いている状態だった。

ここの記憶は、なんか深く入り込めず、「あ、これ重度の発達障害5名を一度に相手にすること自体が不可能なんだ」という気づきで納得した。

発達障害や虐待関係の相談員経験があった私は、「私なら扱える」と謎の自信があったが、それが間違っていた。他害をする発達障害をもつ人々5名と日常生活を共有して関わるって、不可能でしかない。そして、性被害の手当てができていない状態で私に性加害の生徒を引き受けることは不可能だったってことが腑に落ちた。

公立学校は政府の政策の結果に直接触れる場。貧困を放置、ジェンダー差別を放置、発達障害を放置、国民に人権を侵害するといった舵取りをした結果を、現場の教師たちが引き受けている。

船頭が酔っぱらってる船に乗ってるんだから、ある年、発達障害をかかえている意識のない人間5人と関わらざるを得ないこともでてくる。日本の公立高校にいる限り、こういうめちゃくちゃなことに巻き込まれることになるんだ。

3回目のターゲットは、過去知り合いが自殺未遂をしようとした場面に出くわし、2時間くらい圧倒された記憶をお願いしようと思ったが、

2回目と同じ感じになりそうな、「あ、知り合いの自殺未遂の場面に遭遇したら圧倒されて当たり前だよー。冷静に受け止めるとかむりむりー。」と納得するだけな気がして、ターゲットを変えた。私の親が私の了承を得ずに私の子どもを連れていく算段をし、子どもが私との同居をやめると決めた日の記憶だ。

3回目やってみて、ここはうまく入り込めなかった。入り込めない理由は、多分2回目とは違って、ここの記憶はまだ血がにじんでいるというか、下手に触れない記憶だからだろう。

私と子どもはお互いベストをつくした。ここは納得ができた。
私の親の介入、私のインナーチャイルドワークをしてくれた人のリード、ここがだいぶおかしかった。

原宿カウンセリングセンターからの帰り道、東京は初雪だった。涙を隠してくれるちょうどいいタイミング。

あれから数日たつけれど、あの時全部感じてしまったら心が壊れたであろう、深い悲しみと痛みが突然襲ってきて、突如泣き出すということが毎日のように起こっている。今日も電車で涙止まらないし。めがね×マスク×帽子の不審者のいでたちのおかげで多分そんな目立ってないはず。

あの時、感じたら壊れると抑圧せざるを得なかった痛みを、今味わっている。

この痛みは何なんだろうと考えた。
理性的な私は「子の巣立ちの時期が早かっただけ。私の予期していたタイミングじゃなかったけど、彼は自分の意思で私から離れる決断をした。離れられる子に育ったということ。あのまま行ったら、共依存まっしぐら。私も子が離れたおかげで、内省できているでしょ?」と肯定的にとらえているが、納得していない部分がある…

納得していない部分は、多分動物の親としての私。本能の私。
子がおなかに宿った時「私が守る。この子を育てたい。」と私は本能的に思った。この母猫のような母ライオンのような、「私が育てる」という強固な意志を根っこにもちながら、私はすべての意思決定をし、子どもと共に生きてきた。

「私の赤ちゃんを守らなきゃ」という本能的な欲求が、ある日突然断たれ霧散してしまった。「私の赤ちゃんを取らないで!!!」「私の子どもなのに!!!」という本能的な悲しみと怒り。

ずっと近くにいて愛情を伝えたい、ずっと近くにいて愛情を返してほしいという気持ち。これは私が乗り越えないといけない気持ち。

「しんどいけど、頑張らなきゃ。私がしっかりしなきゃ」と全集中してきた対象が、ある日突然目の前から消えるなんて、考えたこともなかった。

エベレスト絶対登頂するって決めて8合目まで行って、高山病で具合悪くしてたら、仲間だと思っていた人達にがけから突き落とされたかのような。私にとっては、子どもが突然でていったこと、私の親が私の承諾なく連れて行く算段をした出来事は、そういうイメージになってしまっている。

守るべき対象だった子が突然いなくなったこと、仲間だと思っていた親の裏切り。この二つが一度に来て、まともに感じたら頭おかしくなるから、抑圧したんだな。

親自身が、今の虐待基準でいうとひどい虐待環境で育っているから、彼らには限界があるっているのは、理性の私の考え。

本能の私は、「誘拐として警察にたれこんでやろうか。このクソ親脳みそ入ってんのか」と口汚くののしっている。

私は、瞬間的に理性が働いてしまうけど、
本能全開で、嘆き悲しむことが、私の回復には必要なんだろうなって思う。苦手だけど。

ブレインスポッティング後は、閉じ込めてた勝手に記憶が出てくるから、苦しくなったら立ち止まって感じきればいい。

「私には人権がある。私を人権をもったひとりの人間として扱ってほしい。」

これが、私が小さい頃から今まで、ずっと私の周りの人に望んでいること。この点で闘い続けることに、疲れ果てている。




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