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中越裕史さん「天職の見つけ方」・他人のためになることではなく、自分にとって意味のある事をする

>人の役に立っていても自分にとって意味があると感じるかどうかまた、世の中の役には立っているんだけれども、自分自身にとっては意味があると感じられないケースもあります。

高校の家庭科の授業は、
私の幸せ探し、幸せを追求していける下地作りとしては必要だった。
今は、どこの国でも自分の生活を成り立たせる力が私にはある。

私に必要な技術や知識を学んでいたら、
それは日本の公立の生徒にも、必要なもので、お互いに利益があった。

また、子どもの大学の進学費用を貯めるために、
心を殺して公立の教員を続けてきたが、子どもがいなくなると、
それまで心を殺して我慢してきたことが我慢できなくなった。
周りにジャンキーや依存体質の人がいると、
気持ち悪くてそこに居たくなくなる。これが本来の私なんだ。

教員採用試験を受けるか、
鬱を排出し続ける組織に飛び込むか、
自分はそこに所属したいか、
経済的には必要でYESだが、精神的にはabsolutely notだった。

子どもがいなくなって、
10年以上前の本来の私の感覚に戻れる時が来たんだ。

授業もここ数年、やりがいがなくなってきたと感じていた。
私に必要な情報や技術は十分身についてきて、
私の利が少なくなっていた。

彼らの役には立っているし社会のためにもなっている。
でも、私の中で、重要度が変化して、私には意味があると思えなくなった。
インプットはもう十分、私は実際に経験したい。
これが今の私のステージだ。

私は自分が実践するための知識を入れていたので、当面のゴールは
「多様な人たちに囲まれて、人権意識の高い国で生活をする」こと
まずはこれを実践して、
「これこれ、これを望んでいたんだよ」となるのか、
「あ、なんか違うな。」となるのか、
感じてみないと、次に進めないのか。


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