見出し画像

「五月の虹」をくぐりに

トナカイさんの「五月の虹」の、京都での巡回展が決まった時から今日行こうと決めていたので、朝からちゃんとご飯を食べ、用意していた服を着て、乗る電車の時間を確認した。

大阪は過ごしやすい気温だったけど、この時期になると京都が大阪よりも寒いことを知っているので、重いトレンチコートをクローゼットから出して生成りの鞄に押し込む。

外は雨が少しだけ降っていた。
傘をさすか悩むくらいの。
いい秋雨だ、京都日和だなって自転車を漕ぐ。
おかげで駅に着いた時には髪の毛が湿気で相当膨らんでいたけれども、まあこれはくせ毛の宿命なのだからなんでもよい。


恵文社までは片道二時間半。
電車の路線二つとバスを乗り継ぎ、ずっと音楽を聴いて、雨で霧のかかる山を見つめていた。

電車に乗っているとき、高校の頃に部活をサボって奈良まで行った時のことを考えてた。あれも雨の日だった気がする。


京都に入ると着物を身に纏った人がちらほら。おしくらまんじゅうみたいなバスに乗って数十分、そこから少し歩いて昼頃に恵文社についた。

ギャラリーには人が沢山いた。
みんなどこから来たのだろうと思いながら、奥に進んでトナカイさんの詩と写真に初めて対峙した。
落ち着いた照明、ベンチに座っているトナカイさんが切るシャッターの音、私の赤いモカシンが床と擦れる音。

写真を撮ろうかと思って、なんとなくやめることにした。ほんとうになんとなく。
頭の中にすぅっとこの景色が染み込んでいく感覚がして それがとても心地よかった。

いつか君自身が
愛とは何かを決めるのだ

私が恵文社にいたのは10分ほどで、本当はもっと何度も何度も目に焼き付けたかったのだけども、後ろ髪を引かれる思いでギャラリーをあとにした。
折角京都に来たのになってちょっと思ったけど、でももうすでに胸は一杯で、小突かれたらすぐに泣きそうだった。

一度だけトナカイさんと目が合った。
トナカイさんが動いている…とちょっと間抜けなことを思う。
展示を見にきていた方と話す声はとても穏やかで、眼差しも同じ様だった。
話していないのに話したような気になった。
それは多分、この場所がトナカイさんの眼差しに守られているから。
京都まで来て良かったと思った。

忙しさも 遠さも 行けない理由にはならなかった。あとお金がないことも。
帰りの電車で男木島への行き方を調べた。
人には「会いたい」だけで会いに行くべきだし、「行きたい」だけでどこへだって行くべきなんだ。
会いたい人も 行きたい場所も
ずっとあるなんて思ってはいけない。
胸が熱いうちに動かなくては。
今日、それをもう一度確信した。



そういえば私の京都の記憶はいつも秋で
三年前は母と東福寺へ
二年前は一人で貴船へ
一年前は友人と清水寺へ
ちょうどこの頃に来ていた。

私が遠出しようと試みるときは大概、どうしようもなくなったときだと思う。
部活をサボって奈良に行ったときもそうだった。
朝、高校の最寄り駅の改札を出るところで、急に立ち尽くして動けなくなってしまった。
別段辛いことがあるわけでも無いはずなのに、
今日もいつもの部活なのにって

それで結局引き返して、でも家にも帰れないからって大阪を電車でぐるぐるし、制服のまま奈良まで行った。
何時間も電車に揺られて、ぼーっと車窓から山を見て、それで、家に帰った。
私にはそういう突拍子のないところがある。
でもその突拍子のなさが私を助けてきたと今は思う。


駅に着いて、少し早い夜ご飯を食べて帰った。蟹クリームコロッケオムライスを頼んだら油を変えているから少し待ってくれと言われたので、その間に恵文社で買った『五月の虹』の写真集をそっと開く。

いつか君自身が
愛とは何かを決めるのだ

何度読んでもこの部分で涙が出てくる
愛とはなんだろう

言葉にならない苦しみが
あなたの目を通して 手を通して
透けるように 世界へ溶けていく



家につき、買って帰ったポストカードを壁に貼る。その前に腰掛けて、じっと見つめる。

愛も 祈りも 神様も 太陽も
いつか 私が私に教えよう
信じたいものを信じて
誰になんと言われようと
自分の信じるものだけが
自分を守りうるのだから


トナカイさん、ありがとうございました。