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君と萠ゆる命


命より大事なものはなんですか?

と聞かれたら、私は迷わずに弟と答えると思う。あまり親しくない人に弟の話をするとブラコンだと茶化されるけれども、言いたい人には言わせておけばいい。私は自分の命が弟の命の上に成り立っていることを知っている。


暴言暴力に理由が存在しない中で生活をしていると、自然と外的な痛みに強くなる。恐ろしいことに、簡単に慣れてしまえる。
だが精神的な痛みはそう易々と慣れるものではなく(とは言ってもそれはまだ私が元気だった証拠なのかもしれないが)、長く私の精神を蝕んだ。そうして、今も絶えず蝕み続けている。
心の傷というのは胸の裏側だけにあるわけじゃない、あれは全身火傷で、治ったように見せかけて永遠に消えない瘢痕を残すものなのだと最近になってようやくわかってきた。


そんな折にも、歳の離れた弟は徐々に大きくなっていった。一時期は色々な事情で母が夜勤のパートをしていたりして、まだ小さかった弟はいつも私の布団で一緒に寝ていた。怒られ泣きはらした目で部屋に来る夜もあった。家には他にも二人の人間がいたが、母が夜勤の仕事を辞めるまでの一年弱、弟が私の部屋以外で寝ることはなかった。当時私は受験生だったので、弟を寝かしつけた後その布団の端に座ったまま薄暗い中で問題集を解いていた。あの部屋の橙色の灯り、規則的な寝息と自分より高い体温。恐らく覚えているのは私だけだ。

過去の日記を見返していても弟に対する祈りの様な文章がある。
「あの子もいつか、あのような人間になってしまうかもしれないと思うと、おぞましくて涙が止まらなくなる。あの子のことは私が一生をかけて守っていく」
必死だったのだろうと思う。

そんな小さかった弟も、今では私の背丈を追い越し精悍な横顔を纏い始めた。腕相撲やゲームで私に勝てなくていじけていたのに今では私がどちらも負け越しだ。
守られるだけの幼子ではなくなり、青年となっていく。


半年前、就職後の初任給でそれなりに値の張るネックレスを贈った。ニヤニヤと嬉しそうにしてたな。お前は知らんだろうけど、お前が救った命で稼いだお金だよ、それ。私が死んだら残ったお金は全部お前にいくようにしてるんだよ、用意周到に。

どんな人間になったっていいし何をしたっていい。お前はさ、生まれてきてくれただけでいいんだよ。 
痛みにまみれた日々の中、私の横で安心しきって眠る幼い体温がどれだけ心を慰め、火傷した皮膚を冷やしてくれたのか、お前には想像できないかもしれない。屈託のない笑顔を向けてくれる兄弟がいるということは、私にとって当たり前ではなかった。
こういう話を私は一度もしたことがない。弟から見た私は、いつもつまらなそうに生きている、少し風変わりな姉、くらいのものだと思う。自分にこんな愛情が向いていることさえ、恐らく知らんだろう。こうして書き綴るのは、違うことなく遺書なのだ。もう既に紙媒体で用意はしているが、ここにも書いておくことにした。

どのように生きようと、たとえその精神が健やかでなくなる日が来ようとも、いかなる時もお前の命を慈しんでいる人間がいる、という事実だけでいい。それに報いようとかそんなことはしなくていい。ただ、そういう事実があるのだということ、それだけを伝えたいがために書いている。重たければ忘れてくれればいい。後ろめたさとかそんなのは一生涯不要だ。
それでも、その人生にやさしい光が差すことを勝手に願わせてほしい。

手の届く距離にあったその体温が私を姉として、人として踏み留まらせ、そうしてその後、幾つもの暗い夜を越えさせた。かつて幼子であった、愛すべきたった一人の青年へ。
苦しむことや悔やむこともあるだろうが、自分の頭で、心で、正しいと思う方へ行けばいいよ。