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今朝は早くから用事があって出かけていた。夜明け頃からずっと小雨で、昨日布団を干しておいて良かったと思った。出かける前、学校で使っていた大量の資料ともう必要ない参考書をまとめてゴミに出した。あとは私の知らぬ間に燃やされていくんだなと、もうただの紙切れのように見えるそれらを雨の中に置き去りにしてきた。心なしか気分が軽くなった。

小一時間で帰宅。道中に白木蓮とミモザが咲いていた。何となく蟲師を思い出して、珈琲片手に八話くらいまで観た。こんなに雨に合うアニメだったっけ。私が初めて観たのは七話だった気がする、あの虹を探す人の話。今でもちょっと泣きそうになる。

昼下がり、蟲師は中断。ストーブをつけ二杯目の珈琲を淹れる。さっきとは違うもの。いとこに教えてもらった珈琲は、湯を注ぐと微かに炭の香りがした。

昼間は、人がいなければまず電気はつけない。暗い方が落ち着いた。小さな頃から蛍光灯の人工的な明るさがどうにも苦手だった。今日は雨でいつもより薄暗い。屋根に跳ね返る不均等で心地良い音に耳を澄ませつつ、カップに顔を近づけて炭の香りを辿っていた。

しばらくそうしていたら、ふと、この炭の香りは焚き火だ、と思った。
昔、私がまだ小学生になるか、ならないかという歳の冬に、父の大工仲間とその家族とで連れ立って、山奥の倉庫で餅つきをしたことがあった。

そこに行くまでは、みんなで軽トラックの荷台に乗ってガタガタした山道を時々お尻をぶつけながら進んでいった。人気のない集落のような所を通っていくから、人目も気にしなくてよかったし、子供には、それが一番冒険のようで楽しかった。

当時の私はかなりお転婆で、餅をつくまでは雪の中を走り回って、仕舞いには雪の下の、泥の層に足を取られたりしていた。大きな声で泣きじゃくって、父の知り合いが助けに来て、私を小脇に抱えて戻ってくれたような気がする。懐かしい。

そのとき、外で餅をついていたときの、あの焚き火。あの焚き火の炭の記憶が、急に鮮明になった。くたびれたドラム缶、凸凹の穴から見える、赤白い炭と薪。雪景色に舞う火の粉とか、顔にじんわりと熱が触れてくる、あの感覚も一緒に。

これが私の中にある一番古い炭の香りの記憶なのかもしれない。こんなこと覚えてるもんなんだなぁ。今になって思い出すなんて思わなかった。

また買ってみようって思いながら、もうほとんど雪原にいるような気持ちで珈琲を飲む。雨が降っているのにおかしな話だ。

身に余る穏やかな午後だった。
夜は蟲師の続きでも観ます。