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ススキ野原について

ススキが光に透ける瞬間が好きで、私の彼岸にはススキがあると思う。

死の匂いが強くなるとき、私は古い電車に乗っているような気になる。そういう映像が流れる。その電車の行先、それを彼岸として、「ススキ野原」に出てくるのはその彼岸に行き着くまでに私の前に現れるもの。私を引き留めるもの。

ススキ野原は私の走馬灯だった。
もうそこにはいない人のことを思い出すときの、こういう深く淡く掴みどころのない、私の喉を締めていくような、この気持ちすら、あなたが生きていたという紛れもない証拠になった。

あぁ、人間には限りある、そして余りある生が与えられて、生とは肉体のことで、失われていくのは肉体ばかりで、そこに意識がないとしても、命は死んだ後もこの星の中でずっと流転しているんじゃないのか。
手に入れていないから失うなんてできない。
命とはそういうことではないのか。
彼岸とは言うが、死んだら、そこには何もないのだろうし、天国も、彼岸も、あったとしても、私は認識したりできないのだろう。
でも、生きている今、生きているこその苦しみの中に、私の愛しているものの気配と温度を感じていられる。
そういうものに、引き留められて何とか息をしている。
それだけの話。