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人生を振り回したい

この間友人と、私たちってなんでこんなに生きづらいんだろうねと食事しながら話していて、食べ終わる頃には私たちってめっちゃアホなのでは?という結論が出ていた。アホという言葉については認識に地域差がありそうだけど、私たちは関西人なのでこの表現がしっくりきた。
注意散漫で鈍臭くて、知らないことは多いし、必要最低限の運動神経すら多分どこかに置いてきている。そういうことかぁってビールを飲みながら合点がいった。勉強に苦手意識を持ったことはあまりなかったけど、頭の良さってそういうことじゃないし、脳の容量、想像や予測をする力、それを元に的確な行動をとれることは生まれ持った力が大きいと思う。

こんなに生きることに手一杯なのって、普通の人がジャグリングでこなせるタスクを私はジャグリングできないから手で鷲掴むしかなくて、それで次から次へとやってくるタスクを落としてしまってるみたいなことなんだ。そっか、アホだったんだな私。自分の他者に対する過激性や生活におけるキャパの少なさにビビってきたけど、卑下とかではなく私って頭が全然良くないのによく生きてこれましたね、と自分に対する妙な感銘も受けたりした。酔った頭で出した結論だけど、一つの答えが出たことに安心さえしたと思う。言葉になっていないだけで、思えばずっと感じていたことだったから。

夫と暮らし始めた頃、こんなに頭が良い人っているんだ、って驚いた。くり返すけど頭が良いというのは勉強ができるとか計算が早いとかそういうことだけではなくて、いやそれも含んではいるんだけど、それだけではない要領の良さとかのことで、自分には全然備わっていないものだから単純に感心してしまう。悔しいとか悲しいということもなくて、これまで生きてきてそういう部分は望んで身につくわけでもないってわかってる。厚顔かもしれないけど、これは恥ずかしがることでもなんでもなくて、もちろん人に迷惑をかけていることもあるだろうけど、それでも誰にでもあることなんだ。人それぞれに頭の悪い部分があって、つまりそれは悪いと表現するようなものでもなくて、ごく当たり前のひとりの人間としての特徴に過ぎない。私にはそばかすがあって夫にはない、みたいなことだと思う。どちらが良いとかいうことでもない。

とはいえ嫌気は全然さしているし、休暇の最終日ってだけで世界を呪える気がしてくるほどには人間のことが嫌いだと思う。年末で退職するけど仕事に行きたくない気持ちは全く色褪せなくて、もう全部消えてくれ〜みたいなデカい主語になってしまう。良くないね、良くないのか?大袈裟じゃなくてかなり本心に近い部分でそう思ってるんだけどな。人間のことはずっと嫌いで、そこにはきっと自分も含まれている。こういうことを考えだすと自分の生きる能力の低さに項垂れるしかないんだけど、振り返ると大体が低気圧、寝不足、疲労のどれかのせいだということが最近わかってきた。日常を凝視するんじゃなくてできれば薄目で見ているくらいがいいんだろうし、アホはアホなりの手の抜き方で人生を愛せたらいいと思う。難しいことだけどね。でも今日のこれは間違いなく低気圧のせい。振り回されるだけじゃなくて、いつかは私の方が人生のことを振り回したいと目論みながら、今日は濃いめのコーヒーを飲んでおきます。