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セキセイインコの置物に名前をつけた。ついこの前。買ってから一年以上経っているのに、落として割れてしまった尾をボンドで接着していたとき急に思い立った。なんとなく浮かんだ花の名をつけた。

この陶器のインコはイギリスから来たらしい。見つけたのは飼っていたセキセイインコが死んでから半年もしていない時だった。その前の年にはもう一羽のインコも死んでいた。それぞれ黄色と青色の綺麗な羽を持った番だった。インコは骨が細くて火葬するとほとんどなくなるって言われたから、亡骸は燃やさずに埋めた。野良猫に荒らされないよう、深く深く掘った。骨が欲しいわけではなかったけど、その時はどうしても燃やす気にはならなかった。

鳥が家にいると、とにかく音がする。籠の中で跳ね回る音、羽の音、鳴き声、髪を啄む音。このインコは桃色で大きさもひと回り小さいし、羽も固く冷たい。鳴くこともなければ音を立てることもない。けれども、顔の造りが見れば見るほどよくできていて、いつもそこに生きているような気がする。二羽がいなくなってからはこの桃色のインコがその空白に音を満たしてきた。ずっと棚にお行儀よく座りながら。

名前をつけたから何ということでもない。ただの陶器の置物が、名前のついた陶器の置物になるだけ。それだけ。たったそれだけで、埋まるものがある。片手に収まる命。手のひらの上の亡骸を撫でながら、こみ上げる涙を奥歯を噛み締めて堪えたあの日。「生きているってなんなんだ」と目が回るほど考えたことも、置物に名前をつけることも、同じベクトルの重量で胸に沈んでくる。