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違う神話を持つ私たちは

「人間も冬は弱っていかんからな」
という言葉の通り、冬になってからえらく体調を崩すようになってきた。相変わらず雨の昼下がりには布団から出られないし、なんなら晴れの日もそうだ。考え込むとまた碌でもない結論に至りそうになるので冒頭の言葉を自分に言い聞かせるようにしているし、多分本当にそうなんだろうと思う。


少し前から、長く音沙汰のなかった人と生活の半分くらいを共にしている。奇妙なほど色んな偶然が重なって、私たち自身も「何で?」と首を傾げている状態のまま。気がつくとするする日々は過ぎ、年が明けてしまった。

楽天的で優しい人だが、人のことを頼りにしていないから優しいんだなと近頃は思う。頼らなければ怒りを覚えることはない。私と違って人に興味はあるけれど、私なんかよりもよっぽど静かに生きている。
よしもとばななさんの『みずうみ』に倣って言うならば「気持ちの暴力が少ない人」だ。
おそらく自分の中に神話があって、それをずっと大事にしているのだと思う。誰しも生きる上で必要な神話がきっとあり、巷で信仰と呼ばれるそれを他者がわかることはできないだろう。私にとって彼はよくわからない人だし、彼にも同じことを言われる。

恋人というより、雨宿りした軒先が同じだっただけという感じがする。今は偶々寄り合っているが、天候が変わればまた散り散りになるかもしれない。ただ、もうずっと恋とか愛とかはよくわからないが、大切にしたいという気持ちだけがあった。共に過ごしている理由は考えても全然わからないけど、別にそれでいいかと思った。


仕事先で雪が降っていたと連絡があって、やはり心身が弱るとしても冬のことは好きだと思う。冷たい空気を肺いっぱいに吸い込むとか、澄んだ光が届くとか。光は白いものだと思っていたが、このところは透明な光についてよく考える。
明るい場所にいなくてもその身から立ち上る透明な何かが見える。あるいは煙かもしれないそれを、物は試しに光と呼んでみることにした。

冬は湿度が低くて気流も少ないから、夏よりも光が届きやすい。人の光もそうだろうか。あの透明な光が彼の大事に抱えている神話から放たれるものだとするなら、夏の多湿の中ではどんな風に揺らぐのか、それを見てみたいと今は思う。