見出し画像

71日間地球ひとまわり(30)ボスニア・ヘルツェゴビナ 15年ぶりのサラエヴォへ(後編)再建したシンボル

昨年地球ひとまわりしている間に訪れた、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォ。この町を訪れるのは14年ぶり。
町の復興状態に驚いたが何よりも、サラエヴォ市庁舎に驚いた。
というのもこの建物は、もともとは国立図書館だった建物。
しかし90年代の内戦時に爆撃を受けて蔵書はもちろんのこと建物も壊滅的なダメージを受けた。
2008年に訪れた時は、爆撃を受けたままの見るも無残な姿だった。
それが、元の建物の形を復元するように再建され、今は市庁舎として使われている。
入場料を支払うと中に入ることができる。
サラエヴォに着いた翌日に足を運んだ。

前に近づくと、次のような碑文が残る。

英語訳の方を拡大すると、1992年10月25日~26日にかけての爆撃のことを記している。

建物の中に入り入場料を支払うと、ホールに入ることができる。
ホールの様子は、外観以上にイスラム色の強い装飾が施されている。
かつてオスマントルコの影響を受けていた名残が残る。

ホールの片隅には、この建物が砲撃を受けてから修復に至る写真が飾られている。

階段を登り2階には、会議場もある。

また、サラエヴォの歴史に関する展示も行われている。

写真は第一次世界大戦の引き金になったオーストリア皇太子暗殺事件の際に襲撃された車の模型

そして1階に降りると、90年代の内戦に関する展示が行われていた。
内戦時のサラエヴォの被害は甚大だったと聞く。
地域ごとに何が起こったのかの説明が華夏が得られていた。

市庁舎の見学を終えてから、旧市街を抜けて新市街に続く道を歩いた。
中近東のような雰囲気が少しずつ薄れ、折カトリック教会や正教会、ユダヤ教会などが点在する。

そして目指したのは、一軒の建物。
市場である。
この市場も今は復旧されたが、内戦時には多くの人が亡くなったそうな。

今も市場として営業している。

市場を終えてから、更に通りを歩いていると、二股の道の合流地点にモニュメントがあった。
永遠の灯と呼ばれている。
こちらは1945年の第二次世界大戦に関する記念碑のようだ。

セルボ=クロアート(セルビア=クロアチア語)で記されている。

そろそろ、この辺りで町歩きを終えて宿に戻ろうかと振り返った時に目に留まったオフィスがあった。

イスラム文化センターである。
ここに立ち寄ったことが、その後ボスニア・ヘルツェゴビナを発ってからの旅に思いがけない形で影響するのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?