サッカーとの関わり始め(小学生時代)
地元はあの野球の英雄 沢村栄治さんを輩出した土地柄で野球が盛んでした。この時代の私には「サッカー」の「サ」の字も頭には有りませんでした。
私も英才教育(?)を受けるべく、小学校1年生から硬式野球のリトルリーグでプレーを始めます。
幼い自分でも運動神経は良いと思っていたのですが、当時体が小さく、非力で苦労した思い出ばかりです。また性格も大人しく、ボールを受けても返せない、失敗して泣く、辛くて泣く、弱っちい自分がいました。
家の都合もあったのと、朝から日が暮れるまでという練習時間が長いのが嫌で小学校3年生で硬式野球とはお別れしました。
やはり、正確に言うと「根性なし」です。
それからは地元で仲間を集めて草野球やソフトボール三昧となりました。
クラブチーム等はなく、みんなでワイワイリーグ戦をやったり、練習試合やったりして楽しんでいました。(サザエさんのカツオくんのような生活)
リーグの取り決め、審判の取り決めなども自主的に行っていました。
町内で、通学団というローカルな中のさらにローカルな地区対抗のソフトボール大会が年一回、夏休み前半にありました。
先生が一応主導するものの、この大会もチームの責任者が寄り集まって日程からルールの確認、試合の準備(ライン引き、ベース、マウンド間の距離測定、スコア付け、審判の手配(第三者チームへ割り当てる)まで自主的に行うものでした。(今思うととても貴重な経験)
参加要件は小学校4年~小学校6年までの男子(女子はバトミントンだったような気がします)でした。
チーム運営も当然自主的に行いました。選手の発掘、練習、冬場にはどことなくプロ野球のキャンプみたいなこともやっていました。
それもこれも学校のグラウンドで放課後ソフトボール(子供たち同士でオッケー)をして良かったこと。
近所の自衛隊のグラウンドを使わせてもらえていたこと(今は立入禁止です、その後サッカーでも使わせて貰えていまいた)。
当時は色々なことを子供たちに任せて、なにか問題があればそれはちゃんと怒られました。
自然と自主性が育まれる時代だったと思います。
続く
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