ストックホルムに行こうと思う/9/10の夜、あるいは9/11の未明
ストックホルムについてのエッセイを読んで以来、またフジファブリックをにわかに聴きだしている。今の私は29歳、志村正彦が亡くなった年齢。2009年12月24日には15歳だった私はもうすぐ30歳になって、彼を追い越してしまう。ていうかもう生きている日数は追い越してしまっている。
志村の訃報が報じられた後、nanosという携帯サイトで2ちゃんのフジファスレまとめサイトが立ち上がっていて、私はそれを熱心に追いかけていた。死後数年間は命日のたびにそのサイトを見ていたけど、いつのまにか見なくなったな。今もまだサイト残ってるんだろうか。もうURLも思い出せない。そこでは志村は中原中也の生まれ変わりだったという言説が流布していて、私は中原中也という詩人の存在を知った。そのあと高校に入って授業で中原中也の詩を扱うとき、志村正彦だと思った。中原中也の生まれ変わりが志村正彦なら、私が生きてるうちに志村正彦の生まれ変わりが世間に出てくれと強く願っていたし、願っている。
志村が生きていた頃のフジファブリックは茜色の夕日が代表曲で特別な曲という印象だったけど、今や若者にすべてなんだろうなあ。茜色の夕日はイギリスに似つかわない、日本のあの濃い夕暮れ空を思い出す。
結局志村が死んだから慌ててフジフジ富士Qのチケットを取って、一人で行くのは許さないと怒られて母と一緒に夜行バスで行った。富士急行き直行バスは売り切れていたから、一旦新宿まで行って、そのあと富士急行きに乗り換えた、その乗り換えもギリギリだった。てか、母も一緒なんだし新幹線乗って行けば良かったのにね。今ならそう思うけど、当時は夜行バスに乗ることに憧れていた気もする。
下調べもろくにせずに勢いだけで行ったものだから、富士急ではフジファブリックの特別展があるのも知らずにスルーして、あとで知って地団駄踏んだ。でも、あの日、奥田民生が歌う茜色の夕日が本当に良くて(先に氣志團が茜色の夕日歌った時は民生が最後に茜色の夕日歌わないのかと焦ったけれど。でも氣志團の茜色の夕日も良かった)、他にもくるりやPUFFYや藤井フミヤや色々なアーティストが出ていて、本当に行けて良かったなあと思う。
フジファブリックが活動休止することをつい今週知った。(ついでに宙組の芹香斗亜さんが退団することも発表後3日後くらいに知った。)かつて熱心に好きだったものが、どんどん遠く離れていく。志村があのまま生きていたら、フジファブリックはメンバーがどんどん入れ替わってどんどん形を変えていたんだろうな。なにせ志村正彦は独裁者だったから。志村が死んでしまったせいでメンバーたちはそこに縛られていた面もあると思う。ここまで守ってくれてありがとう、と思う。もう観れなくなると思ったら急にライブ行きたくなったけど、休止の日までに日本に帰る予定はないし、あったとしてもライブの予定とうまく重なる保証はない。
だから、次の冬にはストックホルムに行こうと思う。クロニクルの特典DVDの映像、ネットのどこかで観れないかなあ。お金は払うから、公式さん出してくれませんかね。志村正彦が飛行機内でタバコ吸えないのがキツかったと言っていた以外、DVDの内容、全然覚えてないな。タバコなんか吸うなよ、だから死んでしまったんじゃないか、と思った記憶がある。CD手放したの、阿呆の所業だったかなあ。
そういや今日は911。寝よ。