多分に駄文

真冬の夜空を見上げるとそれがあまりにも深い闇で、思わず吐息を漏らしてしまうことがありませんか。その白さにますます闇を感じてしまったり。
時分的にはバトンタッチしてしまった冬ですが、思いを馳せるのに時期なんて関係ないでしょう。わたしはもうほとんど春だった夜空を見上げて夜の濃さに打ちひしがれていました。今より少し前のことです。
しかしよくよく考えてみると冬の夜というのは色ばかりが暗くやけに長いものではないでしょうか。密度だけで言えば夏の夜の方が高いのです。それなのにわたしはあの深い闇に惹かれてしまいます。研ぎ澄まされたあの空気を言い表す言葉……清澄とも静謐とも違う奥深な綺麗さがある空気。わたしはあまりに言葉を知らないことしかわからない。
夏の夜空は華やかです。空が近くて自分が大きくなったような気がしてしまいます。外気に晒された手足が世界に触れてわたし自身が自然であることをまざまざと感じる、情報量の多い夜。
夜そのものがまるで珈琲だと思いました。浅煎りの珈琲は豆の味が顕著に出ます。香りも華やかで、すっきりとしている夏の夜空によく似ています。対して深煎りの豆は冬の夜。こっくりと深みのある苦さは顔を顰めてしまう人もいるでしょうが、珈琲といえばそれだとも言えます。深い闇こそが夜の醍醐味なのだとしたら、やはり冬の夜は深煎りの豆で淹れた珈琲なのでしょう。どれが良いとか悪いとかそういう話ではなく、ただそこに在るものがそれだっただけなのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?