日記でもない

9月13日

 芸術肌ってなんだろうと考えていた。わたしは、アートを通して社会を見る力が強い人のことをそう呼ぶんではないかと思った。社会の見方は大きく分けると三つあって、経済活動を通して見る、スポーツ競技を通して社会を見る、アートを通して社会を見るに分けられると思う。結局全部、経済活動であるんだけど、アプローチの仕方が違うかなって。まあ、なんでもいいやって気持ちになってきた。前日にたくさん寝たからか、全く眠れずしんどい。寝過ぎたら寝過ぎたで、うわぁ…ってなるのに眠れないとしんどいって面倒くさいな。今月、半分終わりそう、まじか……。

9月14日

 なんか靴の中が濡れていて気持ち悪いみたいな不機嫌さがずっと続いているのでTwitterに浮上しないでいる。酔っ払ってる時とメンタルが不調な時は呟かないに限る。というか、今月の情緒がやばい。特集組んで解説したいくらいやばいね。気を紛らわす何かがあればすぐに元気になるんだろうけど、これといって観たいものや、やりたいことがあるわけでもないので耐え忍ぶ。原稿やってる時は楽しいので、そっちに注力していこうかな。土曜日に高校の新人戦があって呼ばれてるから朝早めに仕事して途中抜けて観戦に行こうと思っているんだけど、その後の予定も詰め詰めなのでスケジュール管理をしっかりしないと完遂出来なさそう。ちょっと考えます。


雑記

 どこに行ってもいじめられてきたんですって聞いて、納得した。ああ、自分、冷たいなって思った。そりゃあいじめる方が悪いんだけど、当たり前のことが出来た時に自分を褒める声がデカいとか、人を傷つけることを怖がるくせに相手が傷ついていることに疎いから自分の加害性に気づいていないとか、自他の境界が曖昧だとか、とにかく妙に距離が近くて依存してくるんじゃないかっていう怖さを与えてくるとか、そういうのが積み重なるといじめられるんだなって。いや、違うな。自分を守る術に加害性が滲んでいるから攻撃されるのか。愛情を強制されてるみたいで怖いのか? 当たり前のことが出来た時に自分を褒める声がデカいと周りに聞こえるから、感情が発生するわけでしょう。発言者に愛情を持っている人なら素直にすごいね、頑張ったねって言えるかもしれないけど、全く関係ない人の心は騒つくかもしれないじゃないか。褒める文脈が心に侵食してくる。その内容が素直に褒めようと思える内容ならともかく、しょうもない内容だったり、自分にとってわけないことだったら、褒めを引き出そうとしているみたいな不快感が発生するのでは。これは攻撃だよなあ。対象を攻撃することで心のチリつきを発散してるのだと考えると、キュートアグレッションと似てるなって思った。いじめに走る人は衝動を抑えられていないのでキュートアグレッションとはまた違いますが。

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