スコスコスコーン

前回好きとか愛とかそんな話しましたね。今回も"好き"の話をしようかなと思い、そんな感じのタイトルをつけました。スコーンは口の中がパサパサする感じが好きです。それを冷たい牛乳でリセットするのが良い。

わたしは自分の好きという感情に疎いところがあることに気づきました。二年くらい前のことです。好きに限らず自分の感情がよくわからないんですけど(わかってる人の方が少ないとすら思う)、好きには特に疎いです。
友達と深夜ドライブを楽しんでいた時のことです。街灯の無い田舎道を走っていると、星がちらちら光っていて、でも、車のフロントガラスはそれを少し遮ってしまうからよく光るものしかわたし達の目には入って来なかった。友達が「すごい明るい星だね」と言うからわたしは記憶の隅にあった明るい星の話をしました。そしたら友達がニコニコ笑って「星、好きなんだね」「楽しそうに話すから」と言いました。わたしはひどく戸惑った記憶があります。好きとか嫌いとか考えたこともなかったので。気になったから調べて、それを覚えてたからめぐまれた機会の中それを話した。それだけのことです。でも、聞いた人からしてみるとわたしはそれが好きに見える、聞こえる。終いにはその人がそう言うからわたしは星のこと好きなんじゃないかと思いました。今は星が好きだと言っています。でも、好きだと自覚する前と今とで気持ちに違いがあるわけではないんです。だからもしかしたら星のことが好きなわけではないかもしれません。自分の中に星があるのが当たり前でその当たり前である様を他者にわかりやすく伝える手段として好きという言葉を使っているだけなのかもしれません。カテゴライズってやつですね。
わたしは例え話に星をよく使います。趣味で小説を書いているのですが、その中にも星がよく出てきます。それはわたしが星が好きだからなのかもしれないし、わたしにとって星が当たり前の存在だから息を吐くみたいに星を散りばめてしまうのかもしれない。結局、わたしは好きという感情をよくわかっていない。

でも、好きだとすぐにわかったものだってあります。たくさんあります。マイケルケンナの写真だったり、ズーカラデルの音楽だったり、珈琲、他にもあります。これらはわたしの生活を彩ってくれるから好きだとすぐにわかったのかもしれません。これがじわじわと侵食してくる色だったらわたしは好きだと自覚するまでに途轍もない時間を掛けてしまったことでしょうし、もしかしたら好きだと気づかないまま毎日を送ってしまっていたのかも。

少し話がそれてしまいますが、わたしは溶けるという現象が好きです。文章を書くときに、比喩表現として溶けるという言葉をよく使っていたから好きだと気付きました。溶けるは溶けるでも、固体が液体になるような溶けるよりも溶けるものの姿形が見えなくなってしまう溶けるが好きです。紅茶に砂糖を入れて混ぜたとか、風が空に飲み込まれたとかそういうものです。さっき書いた、好きがわたしの中にじわじわ侵食しているから気づかないといった内容、これもわたしの好きな溶けるです。

つまりこういうことです、マイケルケンナの写真、ズーカラデルの音楽、珈琲、その他のすぐに好きだとわかったものはわたしにとってカケラのようなもので、星や読書というのはわたしに溶け込んでいるものなのです。有り体に言うならば後者は人生、です。もっと良い表現があるはずなんですけどパッと浮かびませんでした。

紅茶に砂糖を入れても紅茶は紅茶。どれだけたくさん砂糖を入れても紅いお茶を指差してこれは砂糖だと言うことはできません。わたしがどれだけ思いを募らせて取り込んでも星になることはできません。なんだか少しだけ寂しいなと思いました。

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