孤独に潜る
「なぜ生きているのだろう」そんな取り留めのない事を考えるのが好きな、変わった子どもであった。
そして、年端も行かない子どもが、その問いを持っている事の奇異さと、ある種優越で慰めている孤独さを、無意識のうちに理解していたので、口に出して周りに聞くような事はしなかった。
昏い問いは、実生活での乾きを表しており、ひとたび、それを自身の問題として提示すれば、私の満たされない寂しさを気取られる、と何処かで分かっていたのだ。
「孤独」を悪としか捉えない文化圏に生きる人々に囲まれ、自身もその思念に冒され、そんな世界の中で、泣き言の様に自分の「弱さ」を露呈する事は、当時の私にとって、恥であった。
ただ、少し時間を持つとすぐ「どうして生まれてきたのだろう、何のために生まれてきたのだろう、生きるとはなんだろう」と自身の心の底へと深く深く潜っていくのが好きだった。
イメージの中の私には、自由に水を掻く手足があり、そこには暗く冷えた静寂が奥に奥に広がっていた。
自分の思考に没入することは、とても心地がよかった。
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