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父のこと②

父は、高校を卒業して米農家である家業は継がず、養豚業を営んでいた。その後、世間でいうバブル時代中頃から土木建設業に携わり、ガンや間質性肺炎で体調が悪くなってリタイアするまで、仕事が好きでよく働く人だった。


父は、若い頃からよ活動的な人だった。20代の頃は、北海道で1ヶ月半ほど地元農家さんのお仕事を手伝っていたり、消防団の楽団でラッパを吹いて全国を演奏して回ったり、最近知った話ではエレキギターも独学で学びバンドも組んでいたらしい。


旅行もよく行っていた。
社員旅行で、国内はもちろん、ハワイ、韓国、台湾、香港、シンガポールなど海外旅行も(家族を置いて)行っていた。私の挙式旅行でアメリカのサンフランシスコやベガスに一緒に行ったとき、田舎者の父がどうしてスタバで1人で注文できるのか不思議だっけど、よくよく考えたら、当時は私より海外旅行経験が多かった父だったから、物おじせず、行動ができたのだろう。


そんな旅行先からのお土産で印象的なのが、私が高校時代にもらったCHANELのN°5 オーデゥ トワレット(香水)。それまで興味・関心もなく、香りを纏う習慣も全くなかった高校生の娘に「香水」をお土産に買ってくるなんて。もらった当初は「海外のもの」っというだけで嬉しかったのだけど、よくよく考えると「どうして香水なんだろう?」と不思議に思っていた。


ただ、父は身だしなみがきちんとしている女性が好きだった。母がそうだったから。

外出するのに時間がなくても、母がお化粧をしたり服を選ぶことを無理に急がせることはなかった。母が香水をつけることはなかったが、彼女はいつも子綺麗にしている人だった。趣味のバレーボールに行く時だって、母はお化粧していた。そういえば、よく服を買っていた母を悪く言ったことは一度もない。私が「お母さん、また服を買ってる~、買いすぎじゃない?ねぇお父さん!」と言っても、ニコニコ笑っているだけだった。


母が亡くなり、父の病院受診は私が一緒に行くようになってから、病院帰りのランチが習慣になり、地元の父の知り合いに会うこともよくあった。その度に「あら、娘さんと一緒?いいわね~」なんて言われるたびに父は、声が出せない代わりに、ニコニコと手を振っていた。


私が今使っている香水はCHANELではないけれど、今日は久しぶりに変えてみようかな。


#父のこと
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#CHANELN °5
#綺麗な女性

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