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もっとその先へ行きたかった


私は、褒められることが嬉しいと思わなかった。
そこが自分の限界だと感じて、自分を褒める、認めることなんてできなかった。
私を褒める言葉全ては、その場を和ませるためだと思っていた。

でも幼い頃はそうではなかった。

両親や周りに褒められるのが嬉しくて、褒められたらすぐ調子に乗っていたような気がする。
兄の剣道の練習に妹と一緒に見に行っていた時、自由に体育館で動き回る妹と比べて「お姉ちゃんはちゃんと座って見て偉いね~」と言われることにほくそ笑んでいた。両親に褒められたくて、運動も勉強も一生懸命した。


いつからだろう、褒められることが怖くなったのは。


1番古い記憶は小学5年生から始めたバレーボール。
毎日のように厳しい練習の中、自分を追い込んできた。当時は厳しい指導が当たり前で、それでも今にようにクレームを言う親なんていなかったし、私も先生の指導には私たちを強くしてあげたいという熱い気持ちによるものだと認識していたので、叱られるのは「自分がミスをしたから当然だ」と思っていた。それに、その指導で私たちは結果も残せた。

でも、残した結果は「当たり前」で、決して褒められることはなかった。それよりもまだまだ自分たちよりすごい選手はたくさんいたし、自分たちはまだまだ褒められる程度のものではないとも思っていた。


だけど、小学生最後の練習で監督から「今までよくやった」と労いの言葉をかけてもらった。メンバー一人ひとりに、それぞれの長所や努力を褒めてくれた。その言葉たちに感極まるものもあったが、同時にそれが「最後」だという合図のように思えた。それ以上、ここで学ぶことはない、ここで自分の伸びしろが無くなったと感じた。

それからも、勉強や中学から始めた陸上競技でも、仕事でも自分の伸びしろを探してきた。もちろん、その過程でも褒めてくれる人はいた。でもその言葉を受け入れることで、これ以上自分は成長しないのではないかと不安になっていた。


その自分のまま、昨年から受講したirodori brandingのNatural Branding 実践カレッジ。
フラメンコで何か自分の事業をしたいと悶々と抱いていた想いを、いろんな葛藤の末「どうしても形にしたい」「今の状況から抜け出したい」と受講を決めた。


その講座で最初に伝えられたことの1つが「毎日自分を褒める」だった。

他人や自分を褒めるなんて、よく自己啓発の本でも見かける言葉。そんなの知識としては持っているし、大切だとは理解しているつもりだけど、自分にはどうしてもできない。なぜなら、褒める言葉は、私にとって「今までお疲れ様でした」と言う終わりの合図。褒めることで、自分の行動が止まってしまう怖さがあった。私はもっと先に進みたいのに。幕が閉じてしまう感覚だった。それなのに、自分で自分を褒めるなんて、自分で幕を閉じるなんて、と恐怖でしかなかった。


そんな私がこの3ヶ月の講座で変わったこと。

それは、自分を褒めてもそこから先に進んでいる自分に気づいたこと。
その先の視界はクリアで、具体的にこうありたい自分が見えること。


今まで「自分を褒めるのは最終目標を達成した時だけ」、そう勝手に自分で作っていた枠を外したら、そう自分を許したら、錘(おもり)をつけた一歩よりもずっと軽くなった。

その枠を外せたのは、他でもない、これまで自分を褒めて進んできたプランナーやグループの仲間たちが見せてくれた変化が証明してくれたから。


先に進む方法はいろいろある。

以前の私のように、自分に鞭を打ちながら「走れ、走れ!」と追い込む方法。
今の私のように、小さい自分の変化を認め・褒めながら、吸い込まれるように進む方法。


3ヶ月の講座が終了した今、伴走してくれたプランナーもいない、仲間と密に気持ちをぶつける頻度も減る。


でも、自分を褒める術を得た私は、どんな時でもどんな私でも、私がいちばんの自分の味方でいられる。

その私でもっと先へ行く。


そう決められたこの3ヶ月は、私にとって大切な宝物として、ずっと心に置いておくと決めた。


今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。


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