街が夢見ているうちに

僕は君の似顔絵を描く

世の中に、絵を描く人というのは、ようさんいる。
そりゃあもうたくさん。ようけ。ぎょうさん。
自分もその中の1人なわけだが、実は絵を描いていく中でわかったことがある。

自分、そんなに絵描くの好きとちゃうかったわ。

これまでのこと

子どもの頃から、絵を描くのが好きだった。
人の絵を描くことは苦手だったが、猫が好きだったので、猫の絵をたくさん描いた。
そのうちその猫は擬人化されて、キャラクターになった。
小学生の頃はその擬人化された猫のキャラクターが主人公の漫画を、自由帳にたくさん描いた。
描いたものは友達に見せた。
クラブ活動は漫画クラブに入って、当時書いていた小説のコミカライズを描いた。

中学生以降からは前にも書いた通り一度創作の筆を折り、クラスメイトの似顔絵を描いて人に媚を売るようになった。
最初はなかなか描けなかったが、たくさん描いて漫画などにするうちにだんだんと洗練されてきた。

似顔絵は、顔のパーツを似せるよりも雰囲気を似せることを考えた方が描きやすい。
これに気づいて似顔絵が描きやすくなり、また人に見せればそれなりにウケてくれるということで、自分はすっかり似顔絵を描くことに味をしめていた。

友達を獲得するために、クラスや部活に居場所を得るために、まずは似顔絵を描いてあげる。
自分を良く描かれて悪い気がする人はまずいない(経験談)ので、そこから話が弾んで友達になれるわけである。
このムーブメントは、中学、高校、大学、果てはバイト先に至るまで広がり、続いた。
似顔絵は、いつのまにかすっかり自分の欠くことの出来ないコミュニケーションツールになっていた。

つらかったこと

高校生の時、一切の絵を描くことを禁じられたことがある。
うちの親は絵に理解がなかったので、絵を描く=成績が下がることだとほとんど信じている状態だった。
絵を描いている暇があるなら勉強をしろという、至極単純な禁止令だったが、これが自分には相当きつかった。

いくら絵を描くことを禁じられたからとて、当時の自分は絵を描きたくて仕方なかったので、手は勝手に絵を描いていた。
しかしそれもよくは思われないので、以前も書いたように、本当に隠れキリシタンのようにしてこそこそと描いていた。
自室で描いているとゲリラ的に部屋に入ってこられて絵を取り上げられその場で破かれるので、自室で絵を描く時には常にビクビクしながら親の足音を聞き分けるために耳を研ぎ澄ましていた。
少しでもそれらしい音がすればすぐに隠した。
まあ隠していた絵さえ学校から帰ったら破かれてゴミ箱に捨てられていたのだけれど。
そんな思いをしてもなお、絵を描くことを止めることは出来なかったのだ。

心理士とのこと

学生の時、「絵を描くこと」について、カウンセリングの場面で話したことがある。
担当してくださった心理士さんは、丁寧に話を聴いてくれた。
自分はそこで上記のことと、「似顔絵で友達を獲得するなんて物で釣ってるみたいで嫌だ」といったようなことを話したと思う。
心理士さんは、似顔絵を描ける人はそれだけ人の心の機微を捉えるのが上手いのだということ、描いた絵を破かれた過去から、絵を自分の一部と考えるのはつらいからわざと切り離して考えるように(=「物」として考えている)しているのだろう、といった解釈を伝えてくれたあと、こう締め括った。

「絵は、描き続けた方がいいかもしれない。それが今の心の安定にもなるし、絵があなたにとってどういうものになっていくかわかるかもしれないわね」

ちょうど、似顔絵を描きつつも現在のりつなな(cobaltのメインキャラ)を狂ったように描いていた時期だった。

似顔絵を描くのをやめたこと

社会人になってからは、一切の似顔絵を描くことをやめた。
もう似顔絵を描きたいと思えるほど親しくなりたいと思えるような人は周りにいなかったし、仕事だの何だので忙しくなったからだ。
ただ、何となく気づいたことがある。

今まで自分の絵を好きだと言ってくれた人って、本当に自分の絵が好きなのかな。
それって「勅使河原の絵」が好きなんじゃなくて、「勅使河原が描いてくれた自分」の絵が好きなだけだったんじゃないか。
誰だってかわいく、もしくはかっこよく美化されて描かれたら悪い気はしないだろう。
本当に自分の絵を好きだと思ってくれた人なんて、今までいなかったんじゃないか…。

所詮、人間は絵を介してコミュニケートするようには出来ていない。
最後には言葉を使って交流を深めなければならない。それが人間を人間たらしめる所以。
自分は、ずっとそれから逃げてきた。
ずっとそこを、似顔絵に頼って生きてきた。
だから今、こんなに薄っぺらいことになっている。
それに気づいた時、愕然とした。

もう二度と、誰かのために絵なんて描かない。
描いたって無駄なのだ。言葉での交流を疎かにすればどうせいずれみんな離れていく。それが「まっとうな人間」なのだ、きっと。
自分はそれが出来ない、まっとうになれない。
だから、もう二度と誰のためにも絵は描かない。
全て自分のために、自分のためだけに描くのだ。

「遺書」のこと

似顔絵界隈(?)から足を洗い、創作界隈に飛び込んだ。
大変なこともあったが、皆基本優しかった。
勅使河原さんの絵が好きですと言われ、純粋に嬉しかった。
だってそれは誰かのために媚を売る絵でなく、純粋に自分の描きたいものを描いたものだったから。

でも、世の中、上には上がいる。
たくさんの努力と経験を積み重ねた、猛者がたくさんいる。
それを知って、またその積み重ねができてない自分やこれからも出来ないであろう自分を恥じ、心から「絵なんて描かなきゃよかった」と思ったこともあった。
大デジタル絵時代な世の中も呪ったし、アナログしか描けらん自分も呪った。
最初から、そう子どもの頃から、何か別なことに熱中してればよかったと、戻らない時間を思って悔し涙を流したこともあった。
絵描き禁止令の時親に「時間の無駄」と罵られたものだけど、そう、本当に時間の無駄だったのだ。
あの時の親の言葉は正しかったのだと今更になって気づいたこともまた悔しかった。

だからこそ、絵は「ツール」だとみなすことにした。
この世に自分が生きた証を遺すのに一番いい方法は、文章でも「絵」でもなく、「漫画」だと思った。
「漫画」を描くには、最低限の「絵」は描けるようにならないといけない。

だから自分は絵を描く。
自己実現でも承認のためでも仲間や友達にしてもらうためでもなく、ただ生きた証をこの地球上に遺すためだけに絵を描くのだ。
この薄っぺらで価値のない自分でも、必死で何かを考え、生きていたんだよということが、どこかの誰かに少しでも伝わるように。

この想いを誰かに受け取ってもらえるまで、描き続けるしかないという答えを、出した。

強い風にも千切れてしまわないように。

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