天国地獄

昨日、お世話をしに来てくれているダスキンの人が事故で私の足を蹴ってしまった。足首がぐんとねじれた感覚がした。

介護とはこういうものだ。人が人の近接距離であちこち動き回って体同士が当たってしまうのは当然のことだし、本当にいい人で、私のことを本当に心配して気遣ってくれて、一生懸命やって下さってるのもわかってる。

だから今までずっと、こういうことがあってもほんの軽い注意くらいしか言わないようにしてきた。いつも当日中に治る程度の負傷で済んでたからっていうのもある。だけど今回は違って、捻挫のところが笑えないくらいに痛くなってきてしまった。

1時間くらい経っておトイレに行った時、歩く度に左足がかなり痛くて、これは数日か、下手したら一週間は続く痛みだな、と体で分かってしまった。もうこういうのには慣れているはずなのに、途端に凄く悲しくなってしまった。

せっかく良くなってきてたのに、歩けるようになってきてたのに、また逆戻り、同じことの繰り返し。痛みの質や強さ自体が辛いというよりも、また立ち向かわないといけない生活上の動作の制約や、様々な感情を我慢し続けなければならない精神的苦痛、そんな日々がまた何日も続く思うと涙がぼろぼろと零れてきた。

一応の関係性として私と彼女は他人同士だし、見られたらマズいと思って我慢しようとしたけど、うっかり見られてしまい、いや、本当はむしろ見られてしまいたかったのかもしれないけど、ついに目の前で泣いてしまい、泣いてしまった手前、もう訳を言わないわけにいかなくて、さっきので左足が痛い、と言うと、わっと涙が湧いた。

ダスキンの人は私の手を取って、ごめんね、ごめんなさいと何度も謝って、なんと抱き締めて謝ってくれて、私は思わず彼女の胸に体を預けて、えぇんえぇんと泣いてしまった。子供かよ、と自分でも思う反面、少し心地よくもあった。人に体を預けて泣くなんて何年ぶりだろう。

謝罪の形にもいろいろあるのだということを知った。きっと、まともな家ではこうやって謝るのだろうか。今回のことがなければ私はずっとこの方法を知らぬままに生きていたのだろう。そう思えば良かったのかもしれない。良いわけあるか。痛いんだよ。痛かったらなんの意味もないよ。誰に怒ればいいのか、何に怒ればいいのか、何を憎めばいいのか、誰のせい、何のせいにすればいいのか、なんにもわからない。責める宛がないのは辛い。私は悪くないのに、という確信が持てなくなるから。

殺してくれ〜(実際に殺されるのは困る。なぜなら死ぬ時くらい楽になんの痛みもなく行きたいから。殺してくれ、というのは、今この時の苦痛から逃れるために肉体から魂を失って、意識のない状態になって、暫くの間だけ無き者になりたいという願望でしかない。そうしたら帰ってきた頃には肉体的な痛みも楽になって、この瞬間の悲しみ苦しみも忘れてしまっているような気がするから。死ぬってなんなんだろう。異世界があるのだとしたら、たぶん天国も地獄もなくて、今の世界みたいな極端にどちらかに属するわけでもない中庸な世界があるのだと思う。だってほとんどの人間は良いことも悪いこともしてるから、地獄にも天国にも行かないだろうし、行けないシステムの方が結果的に地獄に落ちる人が減って良いと思う。人を地獄に落とすくらいなら代わりに自分が天国じゃない普通のつまんない世界に行きます。)


HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞