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『手当たり日記 03』数珠つなぎのおすすめと救済 2023年11月9日

ネット記事でよく見る、「〇〇で使える裏ワザ5選!」とか、「実は〇〇な芸能人7選」という文句が嫌いだ。

5選の、5つは、きっとふんわり思いついたものを5つ書いているだけで、数多ある選択肢の中から吟味されて「選ばれ」てきたものではないと思うのだ。そもそも、書いているひとが「◯選」というクリシェをなんとなく無批判で使っている、とりあえずコンテンツらしきものを作っとくか、といういい加減さが透けて見えることが気に食わない。グーグルでキーワード検索するとすぐに出てくる「おすすめ記事」も嫌いだ。みんなおすすめされたがるし、選ばれたものをありがたがる。「おすすめ」とタイトルについた記事の8割くらいは、他の2割が生成されるときにじっくり吟味された純度の高いおすすめからのコピペだと思っている。感覚的なハナシです。

でも「おすすめ」自体は悪いものではない。僕だって、美味しいきのこにたどり着くために、深い山に踏み込んではいかず、最寄りのオオゼキ(スーパー)に並ぶキノコをありがたがって買う。
農家が様々あるシメジの品種を選り分けて栽培し、収穫すべき時を見極めて採り、オオゼキのバイヤーがなんらかのシステムを通じて、値段や品質などの基準でもって発注している。その時点で、いくつもの、食べる人へ向けた選ぶプロセスを経ている。その意味でシメジは、「これは美味しいシメジですよ」と誰かに勧めたいとう、「数珠つなぎのおすすめシステム」の末、オオゼキにたどり着いている。それを僕がありがたがって買うのである。

限りある時間をどう使うか、僕たちは常に選択を迫られている。自分が摂取するもの全てを吟味し、深い森の奥まで分け入る訳にはいかないので、「数珠おすすめ玉」を選ぶ時もある。どの深い森の奥に入るか、選ばなければいけない、ということでもあるとも思う。



今日電車に乗ったら、半袖のワイシャツに紺のセーターベストと、紺の短パンに身を包んだ育ちの良さそうな5歳くらいの男の子がちょこりんと座っていた。彼の左右には、保護者らしき男女。3人とも、正装に見える格好をしており手元には、書類サイズのカバンがある。そして、男の子の手には、未開封のおもちゃ。(特別に買ってもらった雰囲気があった。)時期的に考えるとお受験だろうか。

受験に、接頭辞「お」がつくだけで、小学校受験を意味することばに変わる現象。他にあるかな。「お勉強」も、子どもの拙さを想像させる。本来、レイトティーンズや、成人が取り組むものを、未就学児や小学生低学年の子どもが行うと、「お」が似合いそうだ。「お小遣い稼ぎ」はこどものお手伝いに聞こえるが、「小遣い稼ぎ」は成人たちのちょっとしたアルバイトを想像する。

調べてみると、やはり、接頭辞「お」には、名詞を幼児語化させる用法があるらしい。

「さんぽ」は僕が仕事をサボってやっている隠れた趣味。「おさんぽ」と聞くと、たまに街で遭遇する、幼児たちが保育士さんに連れられて縦列を作ってじわじわと前進しているあの光景が目に浮かぶ。たまにでっかいベビーカーにスタンディングで乗り、運搬されているような状態のお子もいる。
僕はこどもが好きなので、以前旧Twitter現Xで、あの一行に遭遇することを「救済」と名付けたことがある。救済の数珠つなぎ。

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