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トム・クルーズのパワハラ騒動を擁護してみる

ウイルス感染が拡大する中、映画界の頂点に君臨する俳優トム・クルーズが、『ミッション・インポッシブル』シリーズ最新作の撮影現場でソーシャルディスタンス(社会的距離)を怠ったスタッフを激しく叱責した、というニュースが世界を駆け巡った。
ニュースの発信元The Sunのサイトで証拠とされる音声を聴いてみた。個人的な第一印象は「ごもっとも」という感じ。ところが、トム・クルーズの言動をパワーハラスメントだと糾弾する声が少なくない。

日本の定義に照らしてパワハラ度合いを検証
トム・クルーズのパワハラ騒動を検証する前に「パワーハラスメント」の定義を確認しよう。トム・クルーズが叱責したとされる現場はイギリス、彼自身はアメリカ国籍を有するが、ここでは便宜上、日本における定義を参考することにした。

職場におけるパワハラの3要素(厚生労働省)
1.優越的な関係を背景とした言動
2.業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動
3.労働者の就業環境が害される
※この3要素すべてを満たす行為が「パワハラ」

では、トム・クルーズの言動がこの3つに当てはまるか見ていこう。

1.優越的な関係を背景とした言動
これは明らかに該当する。
トム・クルーズの出演作が告知されるとき、作品名や監督名よりトム・クルーズの名前が大きくクレジットされる。つまり、主演作において最も影響力を持つ人物であり、『ミッション・インポッシブル』に限って言えば製作総指揮も務めている。
世界で最も影響力がある俳優自らが作品を統括する立場にあるわけだから、事実上の最高権力者と推定できる。その人物が現場でスタッフを激しく叱責すれば、「優越的な関係を背景とした言動」と受け取られても仕方あるまい。
権力者というだけでなく、100億円超を稼ぐ年もあるトム・クルーズが、彼の100分の1に満たないであろうギャラで仕事していたスタッフを叱責するなんて、大人気ないと言えば大人気ない。この点に関してはジョージ・クルーニーの意見に賛同する。

あんなに大ごとにはしなくてもよかったんじゃないかと。あんな風に人を見せしめにするようなことはね。権力を持っているということは厄介でもあるんだ。自分以外の人の責任も持たなくてはならないし、もし撮影が止まれば、多くの人が職を失ってしまう。人はそれを理解して、自らの行動に責任を持つべきなんだ。誰かのせいにするのではなくてね。
ジョージ・クルーニー、ゲスト出演したテレビ番組でトム・クルーズの言動を問われて(翻訳・女性自身)

2.業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動
これは議論の余地がある。
言わずもがな、世界中でウイルスが猛威をふるい、多くの雇用が失われた。映画界も例外ではなかった。ハリウッドでは多くの映画スタジオが苦境に喘いでいるという。そんな中で、超大作の『ミッション・インポッシブル』は製作されている。
トム・クルーズはスタッフにこう叱責している。

「自分たちのおかげでいまハリウッドでは映画を作っているんだ。我々が何千もの雇用を創り出しているんだ」
「謝ってもだめだ。この業界が活動停止しているせいで、自宅を失う人たちに同じことを言ってみろ。謝ったところで、その人たちが食事にありつけるわけでも、大学の学費が払えるわけでもない」
(翻訳・BBCニュース日本版)

『ミッション・インポッシブル』クラスの大作になると、動員される製作陣は1万5千人を超える。スタッフの雇用形態までわからないものの、仮にスタッフ全員を正社員とみなした場合、その数は日本の名だたる大企業の従業員数すら上回る。
映画1作品が撮影中止に追い込まれるだけで、1万人超の雇用が失われてしまう。大作映画とは多くの雇用を生み出す巨大産業であり、トム・クルーズは言わば、東証1部に上場する企業の経営者と同じ緊張感を持って仕事に対峙しなければならない立場に身を置いている。
これだけの大作になれば、予算の金額も大きい。最新作の製作費はまだ明らかにされていないものの、直近のシリーズ作『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』では当時のレートで197億円(1億7800万ドル)を費やしている。これは東京都心に地上100メートル超の高層ビルを建設する費用に相当する。作品の撮影がたった1日延期になるだけで、5千万円超の予算が吹き飛ぶともいわれる。

巨額の予算を費やせば、売上目標も高く掲げざるを得ない。参考までに『ミッション・インポッシブル』シリーズ直近3作品の世界興収を見てみると、前作『フォールアウト』は7億9112万ドル(1ドル100円換算791億円)、5作目『ローグ・ネーション」は6億8271万ドル(同682億円)、4作目『ゴースト・プロトコル』は6億9471万ドル(同694億円)となっている。この実績を見る限り、トム・クルーズは200億円規模の予算で700億円程度を売り上げる使命を負っているといえる。
要するに、大企業の経営者に比肩する責任感と、超高層ビルの建設と同レベルの現場管理を求められ、しかも700億円の売上目標を達成しなければならない。
このように、トム・クルーズが置かれている立場を正しく認識すると、撮影を中断させまいとしてスタッフを叱責した行為は、実質的な経営者として「業務上必要かつ相当な範囲」で実行されたと解釈できる余地がある。

3.労働者の就業環境が害される
これも議論の余地がある。
当然のことながら、叱責された当人たちは就業環境を害されたと断定していい。実際、5人が現場を去ったという。
一方で、ウイルスの感染拡大を予防する観点で考えると、叱責された当人たちが他のスタッフの就業環境を害する可能性があったと解釈できる。彼らが万が一、現場でウイルスを拡散させてしまったら、多くの感染者が出て撮影が何週にもわたって中断させられる危険性があった。
後者の見解に立てば、トム・クルーズは経営者として雇用や就業環境を守るため特定のスタッフを公衆の面前で叱責した、ということになる。
問題となるのは、叱責した場面だろう。ソーシャルディスタンスを取っていなかったスタッフを撮影現場から離れた場所に呼び、注意することは可能だったと推定できる。
ただ、この場合は別の懸念が生まれる。
公衆の面前ではなく個別に呼び出して叱責した場合、ハラスメントの度合いを証言できる第三者が不在となる。こうなると、ハラスメントを受けたと認識した側が一方的に証言すれば、加害者と認定された側がいくら真相を話しても理解を得るのは容易ではない。
これらの可能性を考慮すると、第三者による証言が可能となる公衆の面前で特定のスタッフを叱責し、衛生意識を高く持つ意義を現場全体に周知したトム・クルーズは、あながち間違った対応ではなかったのではないか。
無論、声のトーンはもう少し下げられたとは思うし、もう少し穏当な言葉を選んでもよかったとは思うが、現場から引っ張り出して影で叱責するより、ずっとオープンだったとすら言える。さらに、結果的に全世界の映画関係者に警鐘を鳴らせた。
ギズモード・ジャパンで配信された記事のリードを引用させてもらうと、「コロナ渦中の撮影はミッション・インポッシブルの連続」なのかもしれない。不可能を可能にするミッションに挑む人々には、イーサン・ハント並みの強心臓が必要だったのか。
いや、そんな心臓を持っているとしたら、現実世界で不可能を可能にする男、トム・クルーズを置いて他にいない。強心臓を持たないスタッフは、トム・クルーズに雷を落とされてさぞ震え上がったに違いない。その点にだけは同情する。

アナ・ウィンターなら怒ったか
ここまでの論点を整理しよう。
「優越的な関係を背景とした言動」の観点では、明らかに該当する。ただ、「業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動」「労働者の就業環境が害される」の観点では、必ずしも該当するとは言い難い。
3要素のうち明確に該当する要素が1つしかないと考えると、トム・クルーズの言動をパワハラとまでは呼べない。
いかなる高圧的な言動も許されるべきではない、と主張するひともいるだろう。その見解にも一定の理解を示せる。
たしかに彼の言動を全面的に擁護するのは難しいが、プロ意識の高さに由来する注意ですら「パワハラ」と揶揄されてしまう風潮は実に嘆かわしい。
トム・クルーズの発言を聴いて、ファッション雑誌「ヴォーグ」アメリカ版の編集長、アナ・ウィンターの言葉を思い出した。

父が引退を決めた時、理由を尋ねたの。とても情熱的に仕事をしていたから。父はこう答えた。「猛烈に腹が立つからだ」と。私もものすごく腹が立つことがある。
『ファッションが教えてくれること』の上映後1時間11分経過した頃にアナ・ウィンターが語った言葉

トム・クルーズもアナ・ウィンターも完璧主義者として知られる。自分に厳しい分、他人にも厳しいのだろう。
いずれにせよ今回の騒動は、トム・クルーズがプロフェッショナリズムに徹したがゆえに起きた。プロ意識から来る発言をパワハラと揶揄する連中には、いい加減にしろと言いたい。

参考資料
Tom Cruise Covid rant – star warns Mission: Impossible crew they’re ‘f***ing gone’ if they break rules on set(The Sun)
厚生労働省「職場におけるハラスメントの防止のために」
女性自身「ジョージ・クルーニー 撮影クルー叱責のトム・クルーズ支持」
米俳優トム・クルーズさん、感染対策ルール守れと「映画撮影スタッフに怒声」(BBCニュース)
Top Lifetime Grosses(Box Office Mojo)
ギズモード・ジャパン「トム・クルーズがMI撮影現場で「距離とれゴルァ」と激怒! 5人が辞める事態に」
R・J・カトラー監督『ファッションが教えてくれること』

(標題のイラストはタナカ基地による作品)

タナカ基地(Tanaca Kichi)
イラストレーター。セツ・モードセミナー卒業。
Instagram@tanaca202