見出し画像

ジャニーズ性暴力事件を報じる前にまずは謝れよと思う

ジャニーズ性暴力事件に関し、相変わらずメディアの報道姿勢がだらしない。
スクープを連発する週刊文春を除けば、新聞社もテレビ局も通信社も出版社もウェブメディアも、ジャニー喜多川の犯罪性を正面から追及する調査報道を行っていない。
何十年にもわたって卑劣な犯罪行為を看過し、ジャニー喜多川による鬼畜の所業を黙認または追認してきたメディアの実態は、十分に検証されないまま今日に至っている。
実際、今のところメディアの世界では誰も責任を取っていない。検証されずに時間だけが過ぎていく様を見る限り、現在のメディアに最も欠如している姿勢は反省と謝罪だろう。

この記事に辿り着いた方々へ
ご覧いただきまして誠にありがとうございます。多少なりとも本記事に興味や関心を持っていただいたことに感謝を申し上げます。
本記事は1万字以上あり、読了にとても時間を要します。冒頭の文章を読んで惹かれなかった場合は、このまま記事を離脱することを勧めます。
そもそもあんた誰なの?と不審に思われた方のためにザックリ自己紹介すると、大手メディアで記者や編集者として十数年のキャリアを歩んできました。よって、メディアの内情や現状、またはジャーナリズム理論にはそれなりに知見があると自負しています。
以上を確認のうえ、この先へ読み進めていただける方に向け、以下で本記事の構成を説明します。なお、章ごとに内容を完結させているため、内容が気になった章だけ読んでいただくことも可能だと思います。

序章
総論として筆者の問題意識を示しています。
第一章:社会正義より事なかれ主義を優先した
報道機関の事なかれ主義を批判します。
第二章:問題なのは報道機関だけにあらず
いまだ沈黙を貫く存在を追及します。
第三章:社会正義を唱える資格なし
共犯関係にあったメディア関係者を糾弾します。
第四章:反省して謝罪する
筆者の経歴を振り返り、反省の弁を述べます。
第五章:堕落したメディアの善処策
今後メディアが取るべき解決策を提案します。
第六章:『ニュースルーム』の胸打つ台詞
ドラマを題材に報道姿勢のあり方を問います。
第七章:まずは謝れよ
結論として筆者の率直な見解を語ります。

社会正義より事なかれ主義を優先した
ジャニー喜多川の犯罪行為を把握しながら見て見ぬふりをしてきたのは誰か。
ジャニー喜多川が創業した旧ジャニーズ事務所(以降「旧事務所」と呼称)を除けば、同事務所に所属するタレント(以降「ジャニタレ」と呼称)を起用してきた腐りきったメディア(以降「マスゴミ」と呼称)こそ、その当事者であろう。
旧事務所と最も多く取引してきたメディアは、おそらく大手テレビ局(テレビ朝日、テレビ東京、日本テレビ、フジテレビ、NHK、TBS=五十音・アルファベット順)と思われる。
大手テレビ局の日和見主義は酷かった。
BBC(英国放送協会)がドキュメンタリー番組でジャニー喜多川の性的虐待を告発し、国連人権理事会が問題を取り上げてもなお、旧事務所が会見で性暴力の実態を認めるまで、具体的な行動を取ることも声明を出すこともなかった。無責任にも程がある。
日本国民から受信料を巻き上げながら何もしてこなかった公共放送局の日本放送協会(NHK)は、広告料を取らない事業モデルの利点を生かして、公正な報道を実現する義務があった。NHKが公表している番組基準にはこう書かれている。

1. 世界平和の理想の実現に寄与し、人類の幸福に貢献する
2. 基本的人権を尊重し、民主主義精神の徹底を図る
3. 教養、情操、道徳による人格の向上を図り、合理的精神を養うのに役立つようにする
4. わが国の過去のすぐれた文化の保存と新しい文化の育成・普及に貢献する
5. 公共放送としての権威と品位を保ち、公衆の期待と要望にそう

出典:日本放送協会番組基準

実際には、世界平和の理想の実現を目指さず、ジャニー喜多川の幸福に貢献して、基本的人権を無視し、民主主義精神に反して、教養、情操、道徳による人格の破壊に加担し、合理的精神を尊重せず、性犯罪者の擁護と新たな性暴力事件の発生に寄与し、公共放送としての権威と品位をかなぐり捨て、公衆の期待と要望に反してきた。
結果から見れば、これが実態であろう。
NHKのみ論うのは公平性に欠けるため、民放が公表している規範も参照しておこう。以下、各社とも一部を抜粋して紹介する。

テレビ朝日
「社会的秩序や会社の健全な活動に悪影響を与えるあらゆる個人・団体とは一切かかわりません」(出典:テレビ朝日倫理規範

テレビ東京

「報道にあたっては常に批判精神を持ち、犯罪行為はもちろん、政治家・官僚・企業などの腐敗・不正があれば積極的に暴露し、市民社会の監視機能を果たさなければならない」(出典:テレビ東京 報道倫理

日本テレビ

「取材・放送は、国民の知る権利・表現の自由を妨害するあらゆる圧力や干渉を排し、自律・独立性を堅持しなければならない」(出典:日本テレビ 取材・放送規範

フジテレビ

「適確な情報と健全な娯楽の提供により、誰もが安全で心身ともに豊かな生活が送れる社会の実現に努める」(出典:フジテレビジョン 番組基準

TBS

「報道番組は、すべての干渉を排し、事実を客観的かつ正確、公平に取り扱うとともに、電波の特性を生かして機動性と速報性の発揮に努める」(出典:TBS放送基準

さらに、大手テレビ局を含む民間放送事業者が加盟している一般社団法人日本民間放送連盟は、1996年に「放送倫理基本綱領」を策定している。倫理に関わる記述を抜粋して紹介する。

放送は、その活動を通じて、平和な社会の実現に寄与することを使命とする。民主主義の精神にのっとり、放送の公共性を重んじ、法と秩序を守り、基本的人権を尊重し、国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る。放送が国民生活、とりわけ児童・青少年および家庭に与える影響を考慮して、新しい世代の育成に貢献するとともに、社会生活に役立つ情報と健全な娯楽を提供し、国民の生活を豊かにするようにつとめる。万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。放送人は、何者にも侵されない自主的・自律的な姿勢を堅持し、取材・制作の過程を適正に保つことにつとめる。

出典:日本民間放送連盟

ご覧の通り、旧事務所を巡る放送に限って言えば、民放各局は口からでまかせの限りを尽くし、約束をまったく守れていない。
ジャニーズ性暴力事件を巡る報道姿勢で追及されるべきは新聞社も同様だ。大手新聞各社は問題を追及してこなかったばかりか、一部はジャニタレを多用してきた大手テレビ局と資本関係にある。
NHKを除く大手テレビ局5社は全社、株式を上場している。そこで、2023年10月23日時点で公表されている各社の有価証券報告書(通期)を参照し、新聞社とテレビ局の資本関係を株式保有率で確認していこう。

株式会社テレビ朝日ホールディングス出典
【発行済株式所有率】朝日新聞社:24.73%(筆頭株主)
株式会社テレビ東京ホールディングス出典
【発行済株式所有率】日本経済新聞社:33.18%(筆頭株主)
日本テレビホールディングス株式会社出典
【発行済株式所有率】読売新聞社:20.56%(筆頭株主)=読売新聞グループ本社14.45% + 読売新聞東京本社6.11%
株式会社フジ・メディア・ホールディングス出典
【発行済株式所有率】産経新聞社:0%=フジテレビが産経新聞社の筆頭株主として45.4%保有
※「大株主の状況」に記載されていないため「0%」と明記
株式会社TBSホールディングス出典
【発行済株式所有率】毎日新聞社:0%
※「大株主の状況」に記載されていないため「0%」と明記

このように、有報上で資本関係を確認できなかったTBS・毎日新聞、資本関係が「テレビ局 > 新聞社」となっているフジテレビ・産経新聞を例外とすれば、本来なら積極的に問題を告発するべき存在である報道機関が、旧事務所と取引関係にあったテレビ局を筆頭株主として支配していた事実が浮かび上がる。
これらの理由から、旧事務所との取引自体が少なかったであろう報道機関も、テレビ局と同罪といえよう。
例えジャニー喜多川の悪事の噂が耳に入っても、結局、誰も真剣に問題を受け止めず、臭いものに蓋をして、見たくないものを見ずに見たいものだけ見るようになり、真実ではなく都合のいい現実を優先してきた。
知っていながら知らないふりをする技だけが上達し、問題を問題とも思わなくなり、変わらない現状にただひたすらに甘んじてやり過ごしてきた。
こうしたマスゴミの姿勢がジャニー喜多川を助長させ、未曾有の大量性犯罪を許してしまった。前代未聞の大犯罪を見逃してきたマスゴミが今さらジャニー喜多川の悪行を非難したところで、何の説得力もない。
公正な報道による社会正義の実現より、利潤を求めて性暴力企業との取引を率先してきたマスゴミの事なかれ主義は、もともと評判を下げていた報道機関の信用を奈落の底へと落とした。
もうきっと誰からも信用されないだろう。

問題なのは報道機関だけにあらず
BBCによる報道以降、ジャニーズ性暴力事件を告発して追及してこなかった日本の報道機関は世界中から批判されている。その一方で、いまだに批判されずに沈黙を貫く存在がある。
これまでの旧事務所の行いに関して報道されている内容を参考に、旧事務所が行使してきた権力の源泉を端的に定義するなら、所属タレントに対する大衆からの人気を背景とした売上効果を期待する関係者への影響力といえよう。
メディアでジャニタレを起用すれば、そのファンたちが本や雑誌を購入したりテレビ番組を見たりしてくれる可能性があるため、通常時より売上や視聴率を上げられる見込みが立つ。
とりわけ、デジタル媒体の普及に伴って不況にあえぐ紙媒体の雑誌は、年々減り続ける売上を少しでもマシなものにするため、一定の売上を見込んで表紙にジャニタレを多用してきた。
アイドルグループ「King & Prince」 の一部メンバーが旧事務所を退所する2023年5月前後で、メンバー全員があらゆる雑誌で表紙を飾りまくった。BBCが問題を告発するドキュメンタリー番組を放送した2023年3月以降も、彼らが表紙を飾る雑誌の刊行は枚挙にいとまがなかった。
この事例が証明する通り、日本のあらゆる雑誌の編集部がジャニタレ起用による売上効果を期待し、金を稼いできた。
BBC報道からここまで、ジャニタレを広告塔に起用してきた上場企業の中からいくつか反省の弁が述べられている。
翻って、ファッションやエンタメ、カルチャーをテーマに編集するメディアは、自らの行いを反省する声明を出しただろうか。筆者が把握している限り、一社もないと思われる。
今まで散々稼がせてもらったくせに何の弁解もないとは虫が良すぎる。都合が悪くなると口をつぐむ事なかれ主義こそ、ジャニー喜多川の犯行を許してきた要因にほかならないというのに。

社会正義を唱える資格なし
アメリカで黒人解放運動を牽引した指導者、マーティン・ルーサー・キング牧師はこんな言葉を残している。
「最大の悲劇は悪人の暴力ではなく善人の沈黙であり、沈黙は暴力の陰に隠れた同罪者である」
一連の報道を受け、言い訳じみた声明を発する企業も、いまもって謝罪しないメディアも、自己保身から来る虚栄心を組織の論理を根拠に正当化しているにすぎない。
こういう連中は現状追認を現実主義と勘違いしている。安住の地にいながら状況の悪化を静観する人々の態度は、まさに「善人の沈黙」にほかならない。
要するに、ファッションやエンタメ、カルチャーの編集部にいた連中も、ジャニタレの人気にあやかってきたテレビ番組のプロデューサーと同じ穴の狢でしかなく、ジャニー喜多川と共犯関係にあった奴隷根性剥き出しの社畜と糾弾されても謗りを免れない。
よって、報道機関だけでなくファッションやエンタメ、カルチャーのメディアも、マスゴミの一大勢力と分類できよう。
しかも、一部報道によれば、ジャニタレに活躍の場を与えてきたメディアは、旧事務所と癒着関係にあったという。この点を加味するならば、報道機関より狡猾で悪質な存在だったといえる。
ジャニタレに活躍の場を提供し、旧事務所に巨大な影響力と巨額の利益を与えることでジャニー喜多川の権力を維持する片棒を担ぎ続け、性暴力犯罪の温床を守る側に立ってきた。
はっきり言っておこう。マスゴミの連中がこれまでに取ってきた行動の結果は、性犯罪を野放しにし、さらなる犯行をジャニー喜多川に許した。
特に、ジャニー喜多川の蛮行を知りながら旧事務所と癒着していたり、ジャニタレの起用を決定する権利を有していたりした者は、もし安倍政権下で共謀罪が成立していたら、実質的な共犯とみなされ、逮捕・立件されていた可能性すらある。
だから連中に一つだけ要望する。雑誌やウェブでSDGsやMeToo運動を気安く取り上げるのはもうやめてくれ。性暴力企業と癒着して犯罪行為に加担してきたあなた方に社会正義を唱える資格はない。

反省して謝罪する
ところで、さっきから偉そうに論じているお前はどうなんだよ?と疑問を持ったあなたは鋭い。
筆者自身のキャリアは、誠に遺憾ながらマスゴミによって支えられてきた。
23歳から読売新聞、27歳から日本テレビ、30歳からぴあ、33歳から朝日新聞出版、35歳から東洋経済新報社で働いてきた。
おもに記者や編集者として筆者が担当してきた業務の中で、事件を取り上げる機会はおそらくなかった。でも、取り上げようと努力すれば、取材や編集は可能だったのかもしれないと後悔している。
正直に告白すると、旧事務所と直接的ないしは間接的に関わった機会が何度かある。
最初は日本テレビ在籍時代。筆者は当時、報道局が制作・放送するニュース番組の現場で原稿編集を担当していた。
大方の読者が知っての通り、日本テレビのニュース番組「news zero」には旧事務所に所属するアイドルグループ「嵐」の櫻井翔が出演している。
とはいえ、報道局のフロアや男子トイレで彼とすれ違いざまに会釈することはあっても、直接やりとりして仕事していたわけではない。
ただし、彼が出演することで日本テレビに広告収入がもたらされ、その売上を原資として筆者に賃金が支払われていた事実は間違いない。つまり、筆者もまた、旧事務所の恩恵に預かってしまっていた。
次に関わったのはぴあ在籍時代。チケット販売サイト「チケットぴあ」で音楽部門を担当していた筆者は、旧事務所が主催する公演の販促を手伝うことが度々あった。嵐のドーム公演を告知する目的でランディングページの制作に関わり、電話やメールで旧事務所とやりとりしたこともある。
仕事内容はあくまで公演チケットの告知や宣伝であり、犯罪行為の追及はタスクに含まれていなかったが、加担してしまったことに変わりはない。
最後は朝日新聞出版在籍時代。筆者は医学や医療をテーマに取材・編集する立場にあり、担当した記事は時折、同出版社が発行する週刊朝日に掲載された。
週刊朝日は表紙にジャニタレたちを頻繁に起用していた。ということは、彼らの影響力が雑誌の売上に貢献し、その一部が労働の対価として筆者に還流していたと整理できる。ここでもまた、旧事務所と間接的に関わりを持ってしまっている。
恥ずかしながら、BBCが取り上げるまでジャニー喜多川による犯行の詳細を知らなかった。もし知っていたら日テレを辞めたか、ぴあでジャニーズ関連業務を拒否したか、週刊朝日への記事掲載を取り下げたか。おそらくそうはしなかった気がする。
既存メディアで仕事してきた者として、この場を借りて謝罪する。旧事務所に関わってきたことを反省し、性暴力を糾弾することなくやり過ごしてしまったことを被害者たちにお詫びします。本当に申し訳ありませんでした。

堕落したメディアの善処策
私たちが生きるこの社会にとって、報道機関は意義のある存在として機能しているだろうか。
数百人に及ぶともいわれる被害者を出し続けてきた事件の顛末を確認する限り、本来であれば社会正義の実現に貢献する役割を担うはずのジャーナリズムは、この国には存在していなかったと言わざるを得ない。
そう指弾されても、筆者を含む既存の記者や編集者たちは反論のしようがないほど、メディアは社会にとって無用であるばかりか、もはや害悪だとすら思われている。
どうしてここまで堕落してしまったのか。今となっては信用されないかもしれないが、かつては違ったと思う。
正義のために戦い、貧しい人々ではなく貧困そのものと闘った。自分を犠牲にし、弱い立場にある人に気を配り、公正な社会の実現に向けて懸命に働いた。
より高みを目指して努力を重ね、知性を求めることが恥ずかしくはなかった。不正義や不条理に憤り、理性と知性を武器に情熱を燃やして目の前にある問題に立ち向かった。
デマゴギーや流言飛語に惑わされず、特定の思想や意見に乗っかって自分を分類することもなく、たやすく動じなかった。
少なくとも筆者は、かつてそういう社会が存在していた時代があったと捉えている。
問題は認識してこそ解決できる。まず現状を正確に分析する必要があり、そのためにもメディアは度重なる失敗から学ぶほかない。そこから教訓を得て改善を試み、新しい方法に挑戦して成功するまで奮闘する。残された解決策はこれしかない。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というテーゼが正しいのだとしたら、進んだ時代に学ぶことだけに執着する人間は愚者と定義されるだろう。
ならば、過去の叡智に耳を傾けて、現在の価値観と照らし合わせたうえで行動するのが、この時代に生きる賢者なのではないか。ジャーナリズムに携わる者が矜持すべき姿勢もこうであってほしい。
世界を動かせるか否かは言葉次第だ。元来、ジャーナリズムの使命と役割は、社会において広範な現象世界を言葉で表すことだった。私たちは今こそ、ジャニーズ性暴力事件が孕む問題に向き合い、堕落してしまった現状の変革を目指して、言葉でこの世界を説明する必要がある。

『ニュースルーム』の胸打つ台詞
ジャーナリズムは、行き過ぎればセンセーショナリズムになり、不十分であれば日和見主義に陥る。
残念ながら現代のジャーナリズムは、社会の急激な変化のなかで観客動員型のメディアを形成することによって、温和な読者を興奮、同情、恐怖の消費者に変えてしまったきらいがある。
テレビで放送されているワイドショーを含むニュース番組は、観客動員型メディアの最たる例として挙げられる。
ほとんどのテレビ番組では、報道の訓練や教育を受けていない著名人がコメンテーターと称して、専門的な知識を持ち合わせていない事柄に対して正確な論拠を示すことなく、臆測や思い込みで雑な見解を述べ、社会を煽っている。
この手の連中は、受け手に有益な情報をもたらすことなく、扇状的な雰囲気を醸成してリアリティショーと見紛う空間を作り出し、健全な思考を有する人でさえ変えてしまう可能性がある。
情報とは、思考の栄養分と呼べるものだろう。だとしたら、頭脳の状態を健全に維持するには、質のいい情報を日常的に受け取れる環境が必要になる。
2004年に公開されたドキュメンタリー『スーパーサイズ・ミー』は、「30日間、一日に3食マクドナルドだけを食べ続けたらどうなるか?」を映像で記録した。
この奇妙な人体実験に臨んだアメリカ人男性は、体重が激増し、体脂肪率が急上昇し、 躁うつと脂肪肝を発症し、性欲も減退したという。要は、30日間で心身ともに一気に健康状態が悪化した。
毎日粗悪な食べ物を口にしていると体を壊すように、ろくでもない情報を摂取し続けると頭脳の状態も悪化の一途を辿るに違いない。
ここで、ジャニーズ性暴力事件の話題に戻そう。
率直に言って、一部を除き、ほとんどの報道機関はまったく仕事してこなかった。視聴者や読者を煽って金儲けと人気取りに勤しむばかりで、被害者の声を拾わずに傍観を決め込み、犯罪行為を見逃し続けてきた。
事件を放置して追及してこなかった日本の報道機関は、過去の報道姿勢について反省して謝罪すべきだろう。
そこで、参考になる過去の事例がないか調べてみた。具体的には、報道姿勢を省み、真摯に謝罪したジャーナリストの言葉を探した。しかし、いろいろ調べても適切な事例を見つけられなかった。
かろうじて思い浮かんだのは、ニュース専門チャンネルを舞台に、報道の仕事に粉骨破身するプロたちの奮闘を描くテレビドラマ『ニュースルーム』の一場面だった。
主人公のウィル・マカヴォイは、ニュース番組のアンカーとして全米屈指の人気を誇っている。ただ、その放送内容はお世辞にも質の高い情報を提供しているとは言い難い状態だった。
そんな最中、優秀なジャーナリストが番組のプロデューサーに就くことになった。これを機に彼も心を入れ替え、健全なジャーナリズムを展開していく。
『ニュースルーム』シーズン1の第3話。その冒頭でウィル・マカヴォイは、それまでの報道姿勢を謝罪し、質の高い報道を実践することを視聴者に約束する。これこそ、事件を無視してきた報道機関が取るべき態度だろう。
ではここで、アーロン・ソーキンによる脚本の台詞を引用しよう。
なお、以下の和訳では、公式の日本語字幕に依拠しつつ、脚本の原文と比較したうえで、読解を助ける目的で一部を筆者が意訳し、初見だと文脈上意味が伝わりづらいと思われる言葉を省いた。改行や句読点、鉤括弧の挿入は筆者の判断で編集している。

「9/11の犠牲者のご遺族と、ここにご出席の方々、そしてテレビの前の皆さん。政府の力が及びませんでした。皆さんを守るという責務がありながらできませんでした」
ご覧いただいたのは、2004年3月24日に開かれた9/11同時多発テロ調査委員会の公聴会で、ブッシュ政権のテロ対策特別顧問、リチャード・クラーク氏が証言した様子です。
国民も私自身も感動しました。大人は失敗の責任を負うべきです。クラーク氏にならい、私も謝罪したいと思います。
私はアンカーとして有権者の皆さんに適切な情報をお伝えしてきませんでした。失敗を繰り返し、認めも修正もせず、この状況に至らせた共犯者でした。
我々は選挙結果を間違って報じ、テロの脅威を吹聴するだけで、国の構造変化を伝えてきませんでした。金融システムの腐敗や国が直面する危機についてです。
奇術師のように巧みに注意をそらし、何十万もの若者を戦争に送ることへの配慮に欠けました。原因は視聴率を上げようとしたことです。
往年の正真正銘のジャーナリストたちがいます。今やそのライバルは、私のようなリアリティ番組まがいのニュース番組のアンカーです。
商売としては順調です。でも、当番組は一線を画します。
偉大なジャーナリストが何人か今も存在します。長年の経験と揺るぎない情熱の持ち主たち。彼らは今や少数意見で、派手なサーカスに太刀打ちできません。惨敗です。
私はサーカスを辞め、チームを入れ替え、劣勢の彼らに加わります。勝利への信念に心を動かされ、彼らに学びたい。我々は今からこの真理を旨とします。
「民主主義では有権者への十分な情報が最重要」
そこで、より広い視点から入念に事件の背景を踏まえてお伝えします。事実を重視し、当てこすりやナンセンス、臆測、誇張を排除します。お好みに応じるレストランではないのです。
事実のみを報じる機械と化すわけではありません。人の事情を加味してこそ意義があります。自らの見解も述べますが、異なる意見もできるだけお伝えするよう努めます。
番組プロデューサーと私はそう決断しました。

Written by Aaron Sorkin

出典:THE NEWSROOM:The 112th Congress

まずは謝れよ
些か理想主義的な観念だと自覚しつつ、報道機関は、思考を生む工場として、絶望と鈍感に対抗する武器庫として、社会的良心の説明者として、社会に貢献する存在であってほしいと願っている。
今では少数派になってしまったものの、メディアの世界には強くて知的で正義を重んじる人々がいる。
ここまで展開してきた議論の中で散々「マスゴミ」という蔑称を使ってあげつらってきたが、公正に報道するために努力している記者や編集者が少なからず大手メディアに残っていることも知っている。それだけに、ジャニーズ性暴力事件を巡る報道姿勢には失望した。
筆者自身は、2019年に東洋経済新報社を離籍して以降、報道機関とは距離を置いている。これ以上マスゴミに付き合うのは馬鹿馬鹿しい——。そう思って辞めて以来、倫理的かつ道義的な見地から大手メディアとは一切仕事していない。
多様な価値に理解を示し、その事実を報告して社会の解像度を上げ、情報の受け手に議論を促すこと。本来、それがジャーナリズムに求められている役割だった。
だからこそ、マスゴミは大いに反省して謝罪する必要がある。過去の報道姿勢や取引実態を検証することなく旧事務所を糾弾している現状は、明らかに倫理にも道義にも反していて間違っている。
ジャニー喜多川の蛮行を告発してこなかった新聞社・テレビ局・通信社・出版社・ウェブメディアは、今さら偉そうに報じる前にまずは謝れよ。腹の底からそう思う。

(標題の画像は「Canva」のテンプレートを利用)

文中敬称略

注意事項:「ジャニーズ性暴力事件」という呼称について
本記事では、「ジャニーズ性加害問題」ではなく、あえて「ジャニーズ性暴力事件」と記載しています。
原則として、警察による立件を経て検察が起訴して刑事事件に発展しない限り、どんなに残忍な行為とわかっていても、その対象を「事件」とは呼ばない不文律が報道機関にはあります。おそらくこれが理由で、各種メディアは「事件」と形容せず「問題」と呼んでいるのだと考えられます。
一方で、誰が見ても大犯罪であるにもかかわらず、警察や検察が法を執行していないだけで「事件」と呼称しないというのは、事実を判断する際の主体性を行政組織に委ねていることになり、日和見主義や事なかれ主義の姿勢に通づると考えています。
よって本記事では、「ジャニーズ性暴力事件」と記載する判断を下しました。