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原稿をうまく書けないと嘆く新人が今すぐ抑えるべき3つの衝動

いきなりマウントを取って恐縮だが、記者や編集者の後輩たちからよくこう聞かれる。
「加藤さんみたいにうまく原稿を書けるようになるにはどうしたらいいんですか」
この類の質問をしょっちゅう受け、相手が誰であっても毎回同じ内容で説明する。これまでに同様の相談を数百回と受けてきて、毎度説明するのがさすがに面倒に感じてきた。
いつも同じ回答になるなら、いっそきちんと言語化して記事を作れば、「これ読んで」と言ってリンクを共有して済ませられると思い、ここにその回答を記す。
一体、どうしたら原稿をうまく書けるようになるのか。
結論から言えば、努力あるのみ。書き手として成長するには、努力に必要な時間を確保し続け、日ごろから勉強する必要がある。一応断っておくと、根性論や精神論は展開しない。
詳しい説明に入る前にひとつ注意しておく。的確で読みやすい文章を書くのに特別な才能は要らない。才能がないと嘆くのは間違っている。書けないのは単に実力がないからにほかならない。そう断言しておく。
上達への最短ルートは努力の積み重ね以外にない。このことをまず念頭に置いてほしい。

この記事に辿り着いた方々へ
ご覧いただきまして誠にありがとうございます。多少なりとも本記事に興味や関心を持っていただいたことに感謝を申し上げます。
本記事は6,000字程度あり、読了にとても時間を要します。冒頭の文章を読んで惹かれなかった場合は、このまま記事を離脱することを勧めます。
読者の対象はおもに、商用メディアで記者や編集者、ライターという肩書きで働く新人、または文筆を生業としたい幅広い世代の方々を想定してします。
そもそもあんた何者なの?と不審に思われた方のために自己紹介すると、大手メディアで記者や編集者として十数年の経験を積み、これまで制作に携わってきた記事は優に2万本を超えます。よって、原稿の執筆や編集に関する技法に長けていると自負しています。
以上を確認のうえ、この先へ読み進めていただける方に向け、以下で本記事の構成を説明します。なお、章ごとに内容を完結させているため、内容が気になった章だけ読んでいただくことも可能だと思います。

序章
結論を端的に示して注意事項を説明しています。
第一章:プロ到達には1万時間必要
努力の必要性を説きます。
第二章:可処分時間が成長の糧となる
努力に充てる時間を確保する必要性を訴えます。
第三章:SNSをやめろ
SNSを控えたほうがいい理由を述べます。
第四章:テレビを見るな
テレビを控えたほうがいい理由を述べます。
第五章:飲み会を断れ
飲み会を控えたほうがいい理由を述べます。
第六章:「時間がない」は言い訳
努力によって到達できるレベルを示します。
第七章:プロにスランプはない
プロとして堅持すべき姿勢を語ります。

※文中に参考文献および推薦図書を示しています。

プロ到達には1万時間必要
ファッション雑誌の編集部で働く女性たちが登場する映画『プラダを着た悪魔』で、主人公のアンドレアが仕事中に思わず愚痴をこぼす。
「私生活が危機なの」
彼氏との恋愛がうまくいかない一方で、誰もが憧れる雑誌の編集者として上々のキャリアを歩み始めたアンドレアに同僚が言い返す。
「仕事が上達するとみんなそうなる」

まずは、二兎を追う者は一兎をも得られないと認識したうえで、あらゆる世事を脇に置いて仕事に集中するしかないと理解しよう。
こうした姿勢で努力を続けない限り、プロと名乗れる領域まで到達できる可能性はかなり低いと見積もっていい。
では、その領域の到達までにどれほどの時間が必要なのか。
マルコム・グラッドウェル著『天才! 成功する人々の法則』によると、ある分野で経験を積んでプロと呼べる存在になるまでには、1万時間の練習または学習の繰り返しが必要だという。
これ以降は、グラッドウェルが提唱した「一万時間の法則」に基づき、書き手として成長するために必要となる時間を「1万時間」と仮定して議論を進めていく。

参考文献:天才! 成功する人々の法則(出所

可処分時間が成長の糧となる
消費者にならないと生産者にはなれない。
文章を書く生産者になりたいなら、文章を読む消費者にならなければならない。文章を読む時間をできるだけ確保し、徹底した読書の消費者になる必要がある。
読書は執筆の母である。上達への第一歩は読書あるのみ。
読書とは言わば、写経の一種だと思ってくれていい。実際には筆を動かさないものの、度重なる読解が執筆の原動力となる。読書の研鑽はあなたを決して裏切らない。

推薦図書:おとなの作文教室(出所

読書によって語彙は確実に増える。語彙が増えれば表現が多様になり、読んでいて飽きのこない文章を書けるようになる。
読書を通じてレトリック(≒言い回し)を学べば文体が多様になり、展開を自在に操作したり、読み手を引き込む仕掛けを作ったりできるようになる。
さらに多読によって、文章の流れを掴んで文脈を切り取れるようになり、構成や編集の要諦も理解できて見出しの作成にも役立つ。
これらの効果が作用し、執筆の腕は確実に上がっていく。

推薦図書:日本語のレトリック(出所

読書は記者や編集者を目指す場合にも非常に有効だといえる。
読書とは孤独の喜びだ。孤独への耐性がないと、記者や編集者としての成功は望めない。孤独が苦手な人間は記者や編集者の適性がないと断定してもいい。
実際に記者や編集者の職に就くと、孤独な作業の連続となる。取材は基本的に単独でこなし、編集で担当する原稿も独力で仕上げなければならない。上司や同僚に相談はできても、結局のところ自分一人で結果を出す必要に迫られる。
従って、読書の努力を積み重ねれば、記者や編集者への適性も次第に上がっていくだろう。

推薦図書:孤独(出所

だが、読書は時間を要す。時間を稼がないと読書の絶対量はいつまで経っても増えず、執筆の腕も文筆業への適性も上がっていかない。
一日24時間、一年365日。これは天才にも凡才にも等しい。この条件の下で可処分時間をできるだけ多く稼ぎ、最大限その時間を読書に費やす。読んで読んで読みまくるしかない。
「一万時間の法則」に依拠するならば、「1万時間の読書」が求められる。とにかく時間が必要だ。無駄なことに時間を使う余裕はこれっぽっちもない。

SNSをやるな
筆者は現状、日常的に使う必要を感じないため、ソーシャルメディア(SNS)の有効なアカウントを一つも持っていない。基本的に時間の無駄だと思っている。
筆者なりに解釈すると、互いを承認することでしか成立しないSNSというコミュニケーションの台頭により、自分と意見を同じくする情報源しか信用しない人が増えてしまったと考えている。

推薦図書:くたばれインターネット(出所

言論の自由とは本来、相反する価値観を持つ人々が対立しながらも議論を積み重ねて成果を生んでいく過程に存在していたはずだった。
SNSはその世界を瓦解させ、今や破壊しようとしている。知的な議論を喚起する役割を担うべき記者や編集者がこんなものに時間を割く意味はない。
世界のデジタル行動を分析した報告書「Digital 2023:Global digital overview」によると、働く世代のインターネットユーザーによるSNS利用時間は一日平均2.5時間を超えたという。

参考文献:Digital 2023:Global digital overview(出所

これに倣って一日2.5時間SNSを見たとしよう。365日その習慣を続けた場合、年912時間もSNSに費やす計算になる。仮に一日8時間労働だとしたら、114日間もSNSだけ見ていたと試算できる。
ということで、後輩たちから仕事の悩みを持ちかけられた筆者は、彼らにいつもこう告げる。
「SNSをだらだら見てる暇があったら本を読んで勉強しろよ」

テレビを見るな
筆者は一人暮らしを始めた2001年以降、一切テレビを見ていない。テレビ局で働いていたときでさえテレビを持っていなかった。
さすがにそれはどうなんだ?というツッコミはさておき、ともかくテレビを見なくても記者・編集者として十分に成長できることは筆者の経歴から証明できると思う。

参考文献:編集者という仕事についたのは、ほんとうに偶然だった(出所

高校を卒業して一人暮らしを送ると決めた筆者は考えた。
同じ映像を見るとしたら、その時間を映画やドキュメンタリーを鑑賞する時間に充てたほうが人生が豊かになるのではないか。
本なら相当数を読了できるのではないか。雑誌ならさらに楽しめるかもしれない。ネット記事ならかなりの数を一読できるだろう。
そう思えば思うほど、テレビを見る時間が惜しくなり、借りた部屋にテレビを持っていかなかった。以来、筆者の生活にテレビは存在していない。

参考文献:総務省統計局「社会生活基本調査」(出所

総務省統計局の社会生活基本調査によると、10歳以上の平日一日あたりの視聴時間は平均119分だったという。
これに倣って一日2時間テレビを見たとしよう。365日その習慣を続けた場合、年730時間もテレビに費やす計算になる。仮に一日8時間労働だとしたら、91日間もテレビだけ見ていたと試算できる。
ということで、後輩たちから仕事の悩みを持ちかけられた筆者は、彼らにいつもこう告げる。
「くだらない番組を見てる暇があったら本を読んで勉強しろよ」

飲み会を断れ
2019年の年末、「忘年会スルー」という言葉が流行った。筆者は社会人1年目の2002年からずっと忘年会スルーを貫いてきた。
理由は単純明快。行ったところで大して面白くないし、楽しくもないし、時間の無駄だから。無論、楽しめそうな忘年会なら行けばいい。
社交を否定するわけではない。だが、自分が好きでもない相手と過ごす時間ほど無用なものはない。
一方で、心を許せる相手と過ごす時間は自身を高めてくれる。友情であれ恋愛であれ結婚であれ、精神的営為を通じて自分を肯定して受け止めてくれる存在は自身をより強くする。
この世に二人といない知己を得て人生の活力とする生き方は美しく素晴らしい。気心の知れた友人、仲間、恋人、伴侶との時間はむしろ積極的に取るべきだと考えている。

参考文献:賛否両論の#忘年会スルー(出所

だからこそ、どうでもいい飲み会に行くくらいなら、その時間を別の目的に充てたほうが賢明だといえる。
可処分時間すべてを努力に充てろとは言わない。羽目を外して気分を転換する時間も人生には不可欠だと認める。でも、退屈極まりない飲み会に行く暇があったら、努力を重ねる時間に充てるほうがずっと理にかなっている。
参加したくもない飲み会に週に一度、2時間程度を費やしたとしよう。多少の休暇を考慮して一年を50週間とするなら、飲み会だけで年100時間も浪費してしまう計算になる。仮に一日8時間労働だとしたら、12日間も飲み会だけに参加していたと試算できる。
ということで、後輩たちから仕事の悩みを持ちかけられた筆者は、彼らにいつもこう告げる。
「つまんない飲み会に行く暇があったら本を読んで勉強しろよ」

「時間がない」は言い訳
ここまで確認してきた通り、SNSをやめれば912時間、テレビをやめれば730時間、飲み会に行かなければ100時間を捻出でき、その合計は年1,742時間に上る。
これを一日あたり実働8時間勤務の営業日数に換算すると、実に217日にも及ぶ。月に20営業日働いた場合、11カ月近くも時間を浪費していた計算になる。
改めて「一万時間の法則」を持ち出すと、年に1,742時間を読書に充てれば、1万時間まで6年弱で到達できる。一人前の職人になるのに20年かかると言われるとビビるが、6年弱ならなんとかできそうな気がしてこないだろうか。

推薦図書:読書の技法(出所

筆者は職業柄、速読を得意とする。速読のスキルは才能の有無に関係なく身につけられる。早い話、大量に文章を読んでいれば誰でも習得できる。つまり、大量に文章を読まないと獲得できない。
文献を速読できれば、情報処理能力が飛躍的に上がる。いくらAI(人工知能)が進化しようとも、知識が少ないより多いほうがいいことに変わりはない。情報を読み解いて伝える責務を負う記者・編集者であればなおさらだろう。
筆者が速読した場合、250ページ程度の新書なら15分もあれば読み終え、1時間で4冊を読破できる。仮に筆者が1,742時間を新書の読解に充てれば、6,968冊を読了できる計算になる。

推薦図書:打ちのめされるようなすごい本(出所

ここで読者に問おう。
1,742時間もあったのに一冊も本を読んで勉強していなかった記者、1,742時間で6,968冊を読んで勉強した記者。どちらの記者が書いた記事を読みたいだろうか。筆者なら当然、後者が書いた記事を読みたい。
認知科学の研究によれば、知識量が知性の構築に欠かせないという。知識量が増えていない書き手と知識量が圧倒的に増えた書き手。その差は歴然。
知性の低い記者でもそれとなく記事を書けるだろうが、大量の文献に当たって勉強した記者のほうがずっとましな記事を書けると類推できよう。

推薦図書:立花式読書論、読書術、書斎術(出所

ここまで読めば、もう理解できただろう。稼いだ可処分時間を読書に充てれば、確実に執筆の腕を上げる機会を得られる。
「1万時間の読書」はいつからでも始められる。仮に一年1,742時間を確保して高校1年から始めたら大学在学中には到達する。大卒後の22歳から始めても入社6年目にはたどり着ける。
ゆえに、「本を読む暇がない」なんて言い訳は通用しない。

プロにスランプはない
恐縮ながらふたたびマウントを取らせてもらうと、6,000字程度ある本記事の執筆・編集にはせいぜい数時間程度しか要していない。
一本の記事を制作し終えるのに何日もかけている暇など、プロの世界にはない。もしレストランのシェフが一皿を仕上げるのに何時間もかけていたら店が回らない。それと同様に、原稿を手早くまとめ上げられないなら、そんな奴は一線のプロとは呼べない。

推薦図書:日本語の作文技術(出所

本物のプロにスランプは存在しない。
小説家や漫画家、随筆家のように自由な創作を生業とし、精神世界を含んだ描写が求められる書き手ならスランプ(=不調)があって当然だが、現象世界を扱って文章を紡ぐ書き手のプロにスランプなんてない。あるとすれば、病気やケガで物理的に書けない場合だけだろう。
もし、精神障害でも体調不良でもないのに「今スランプなんだよね」などとほざく奴がいたら、そいつは単に実力がないか、原稿を書くのに必要な知識や経験がないだけだと言い切れる。要は、記者・編集者としては仕事のできない奴だと判定して構わない。
だから最後にもう一度言っておく。書き手として成長するには努力あるのみ。そこに言い訳は必要ない。御託を並べる暇があったら努力しろ。

(文中敬称略)

標題イラストはタナカ基地による作品

タナカ基地(Tanaca Kichi)
イラストレーター。セツ・モードセミナー卒業。
Instagram@tanaca202