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聴こえの未来を変えていく ユニバーサル・サウンドデザイン株式会社 代表取締役 中石 真一路さん

聴こえの未来を変えていくために、新技術の開発や難聴者の子供への寄贈活動などイノベーションを起こし続けている、ユニバーサル・サウンドデザインの中石 真一路さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地:
熊本県 東京都小平生まれ
活動地域:全国 海外 アメリカ アジア
経歴:
2013年4月 ユニバーサル・サウンドデザイン株式会社設立
2014年4月 慶応義塾大学 SFC研究所 所員(訪問)
2016年12月 広島大学 宇宙再生医療センター 研究員
2019年12月 南カリフォルニア大学 ジェロントロジー学部 
ジェロントロジー学科修了(通信教育課程)ジェロントロジスト
現在の職業および活動:代表取締役 兼 CSO チーフサイエンスオフィサー 
聴脳科学総合研究所 所長
NPO JUSDA でのきこえのあしながさんプロジェクトでのcomuoonの寄贈活動
座右の銘:夢中になれ!

※聴こえ=意識して音声に耳を傾けること
※聞こえ=意識しなくても音声が耳に入ってくること

「聞こえの常識を塗り替え、聴こえの未来を変えていく」

Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?

中石 真一路さん(以下、中石 敬称略):聴こえの未来を変えていくことです。難聴者の数は世界で11億人。日本でも1900万人と言われ、実は10人に1人が難聴者なのです。老化による難聴だけではなく、ストレスによる突発性難聴やヘッドフォンによる騒音性難聴など若い人にも難聴者は多くいます。
聴こえ=福祉や医療と思われる方が多いのですが、聴こえないとコミュニケーションも音楽もできません。つまり日常からエンターテイメントの要素が無くなることこそが問題だと思っているので、いかに聴こえが影響しているかの目線で観て欲しいです。難聴と聞いた時に、「大変ね」と言う人は多くいます。しかし、それよりも技術の開発を行い、実際に困っている人が聴こえるようになることが大事だと思います。

今は難聴者本人が補聴器を付けたり、聴こえについての話をしても理解されないので言わないように隠したりしています。しかし、言わないので周りも理解ができません。難聴者に対する理解がないと、よかれで大声で話す人も多くいます。しかし大声を出すことが良いことではありません。大切なのは音質です。大声を出すと、顔が怒っているようにしか見えず、言われている方はいい気持ちになりません。例えるなら、「あなたのために」と言いながら至近距離で全力投球をするようなものです。そのような配慮のない状態を「ヒアリングハラスメント」と呼び、注意喚起しています。

これからは周りの人が気付いて歩み寄る、全く新しい視点、発送の転換を創っていきたいと思っています。その為のツールとして開発したのが、対話式スピーカーのcomuoon(以下、コミューン)です。コミューンは現在、窓口や銀行など色々な場所に10,000台以上置かれています。実際にコミューンが置かれた現場には変化があります。難聴者のお年寄りの方が、以前は全然話さなかったのですが、聴こえるようになったことで、おしゃべりになったり、目がキラキラするようになったと職場の方が喜んでくれました。

私はもっと難聴者のコミュニケーションをバリアフリーにしたい思いから、きこえのあしながさんプロジェクトで全国の聾学校(ろうがっこう)や難聴学級へコミューンを寄贈しています。寄贈した子供からは、「授業で先生の声が聞き取れるようになった」や「英語を諦めなくてよくなりました」などの嬉しい声も沢山聞き、それが私の原動力にもなっています。聴こえることは本当に大事ですし、コミュニケーションがいかに人を良くも悪くも変えるのかがわかります。

他にも難聴を早めに発見するための、「聴脳力チェック」のアプリを開発し、聴力を数値化してチェックすることができるようにもしました。今までの聴力検査は「ピー」や「プー」という音で検査していましたが、デジベルで表記するため一般の方にはわかりにくいので、日常で使う日本語などの単音の聞き取りをチェックした方がわかりやすくなります。オーラルフレイルという言葉が聞かれるようになりましたが、高齢者の難聴の影響に関して研究を進めていく中で聴覚機能の低下によりフレイル(※1)の原因になることを発見し、「ヒアリングフレイル」という言葉を創りました。難聴を放置しておくとフレイルの原因になることは日本耳鼻咽喉科学会のサイトでも紹介されています。老年期の聴力を維持活用していくことの大切さを全国で伝えていく中で、難聴議連が提唱した「Japan Hearing Vision」の中にも、高齢者の聴覚スクリーニングの重要性や簡易セルフチェックを行うアプリの開発や使用が推奨されました。自身の耳について、もっと身近に感じてもらえるようになプラットフォーム作りを行ってきたいと考えています。

そして今は、予防や治療にも力を入れています。聴力の衰えは耳の疾病だと思われていますが、私は他の疾病の予兆ではないかという仮説をもっています。聴覚が低下した後に大きな疾病になっている可能性が高く、これを700件の研究データを基に研究したり、コミューンの技術を使ってトレーニングをすることで難聴が回復できるように、診断だけではなく日常生活のデータの取得を協力して頂き、どれだけ治療の影響があるのかを調査したりもしています。

実際にコミューンを使い変化し、今は弊社で一緒に働いている女性にもコミューンとの出会いの話をして貰おうと思います。

女性社員:
私は病気の副作用で軽度難聴になり、高音が聞こえません。仕事中に目の前の女性の声が聞こえず、何度も聞き返して申し訳ない気持ちになったり、その気持ちから聞こえたふりをしたこともありました。しかしその影響でコミュニケーションがズレ、クレームになり派遣が契約破棄になったり、他の会社も解雇になり、そのショックからメンタルヘルスに通うようになり安定剤なども飲んでいました。そんな中で中石さんに相談し、コミューンを使うようになり音が聞こえるようになりました。耳が聴こえない人にとって聴こえるようになるということは、その後の人生に光を当ててもらえたということです。もう一度自分らしく生きていける場所を、コミューンと中石さんが与えてくれたことに、心から感謝しています。今は同じ難聴者の役に立てる仕事をしたいと思っています。

記者:難聴者の方の実情に驚きました。難聴ではない方が歩み寄り、理解することが大事だと思いましたし、中石さんがやられようとしている発想の転換は大きく常識を変えていくんだなとワクワクしました。
ここでは書ききれませんでしたが、他にも様々な取り組みをされ、やりたいことが溢れているのがとても印象的でした。

※1 フレイル:健康な状態と要介護状態の中間に位置し、身体的機能や認知機能の低下が見られる状態。


Q.「
聴こえの未来を変えていく」ために、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?

中石:「人と人、人とモノとの音声コミュニケーションをもっと快適なものに」です。「人は音と共に生きている。音楽には人を元気にする力がある。コミュニケーションには人を笑顔にする力がある。その実現こそ、私たちが目指すもの。私たちの使命。」これをミッションに掲げ活動しています。

記者:お話を聞く中で、まさにミッション通りに一貫した在り方をされている方だと思いました。


Q.そもそも、「
聴こえの未来を変えていく」という夢を持ったきっかけは何ですか?そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

中石:以前働いていたレコード会社での聴こえの研究が打ち切りになった後、2011年3月11日 東日本大震災が起こりました。そのニュースの中で、難聴で放送が聞けず、逃げ遅れた方がいることを知りました。それを聞いた時に「研究がうまくいっていれば、そういう人たちを救えたのではないか…」と思ったんです。震災時の難聴者の死亡率は2倍に上がります。やはり研究は絶対必要だと思い、会社に研究を続けさせてくれと直談判しました。しかし会社からは反対されてしまいました。それでも私は諦めず、友人とNPO法人を立ち上げて自費で研究をすることにしました。そしてもっと本腰を入れてやりたいと思い、大手レコード会社の地位をすて、夢を選び独立しました。

私のやっていることは0から1を生む仕事なので、初めは相手にされなかったり、メーカーなのでお金の工面で苦労をしたり、「よからぬこと考えているんじゃないのか?」と心無い言葉を言われたりもしました。でも悔しい思いをする度に、「難聴者の人達の笑顔をみたい」「どうしたら聞こえやすくなるのか?」という思いを思い出して、研究開発をする毎日でした。根気よく続けていく中で、段々と協力者が増えていき、NHKの放送をきっかけに一気に認知度が上がりました。

しかしその後も簡単にはいきませんでした。一度スピーカーが完成した時も、デザインだけを見て「スピーカーは音が大きいから置けない」と受け入れて貰えませんでした。その後も色々と困難はありましたが、その研究開発の末にできたのがコミューンです。

コミューンを実際に70代女性に使って頂いた時に、涙ながらにお孫さんと話をされ、喜んでいる姿を見た時に、やってきたことへの確信と祖母のことを思い出して涙が流れました。誰もやったことないことをやること、わかっていないことがわかることはとても楽しいです。これからももっと聴こえの未来を変えていくために研究を続けていきます。

記者:一貫して熱い思いを持って取り組み続けてきた中石さんのストーリーにとても感動しました。中石さんがなぜここまで一貫してやり続けることができるのか、その背景をもっと知りたくなりました。


Q.「3.11を通して難聴者の方を救おうと思った」背景には、何があったのですか?

中石:私は生まれた時に、とびひになり余命1か月の宣告をされました。医師も諦めたのですが、可視光線治療を行ったことで一命を取り留めました。きっと何かをやり遂げるために生かしてくれたんだと思います。

また、私の祖母は難聴者でした。祖母は凄く愛してくれて、食事の時に毎日の出来事を祖母に話すことが楽しみでした。しかしいつからか祖母に話をしても返事が返ってこなくなりました。段々と会話も減り、一人で過ごすことが多くなり、ふさぎ込むようになっていきました。今なら難聴者の苦労がわかりますが、当時はわからず、あの時にもっと配慮ができていたら、もっとコミュニケーションしたかったという無念がずっとありました。

社会人になり、大手レコード会社で研究をしている時に、慶応義塾大学SFCの武藤佳恭先生との運命的な出会いがありました。先生の開発されたスピーカーの検証中に難聴の方が来られて「聞こえやすい」と言われたとお聞きしたのです。以前から祖母や父が聞こえで悩んでいる姿を知っていたので、この技術でなんとかしてあげられないかと考え始めました。

記者:0歳の時に命を取り留めたお話や、一度は途切れた研究が3.11 東日本大震災の事件をきっかけに大きく人生が変わることになったことが、今まさに中石さんがやられているイノベーションに繋がっていることを知って驚きました。貴重なお話ありがとうございました。

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中石さんの活動、連絡については、こちらから↓↓

HP:

Facebook:

https://www.facebook.com/nakachandx


【編集後記】
インタビューの記者を担当した不知です。
終始ワクワクしながら、今やられていることを話される中石さんの姿はとても楽しそうで、聞いている私も楽しくなり、もっと色々と聞きたくなりました。中石さんの行われているイノベーションが世の中に広がり、世の中の常識が変わるのが本当に楽しみです。ますますのご活躍を楽しみにしております。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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