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NPO法人 東京レインボープライド 顧問/理事 山縣真矢さん

長年、東京のプライドパレードの運営に携わり、LGBTQが抱える社会課題――「婚姻の平等」や「LGBTQへの差別・偏見の解消」などに、誠実さを持って取り組み続けている山縣真矢さんにお話を伺いました。

プロフィール
出身地:岡山県倉敷市
活動地域:東京都を中心に全国
経歴:1967年生まれ。2002年より東京のプライドパレードの運営に携わる。2019年9月まで「NPO法人 東京レインボープライド」共同代表理事を務め、現在は顧問/理事。
現在の職業および活動:編集者・ライター。NPO法人東京レインボープライド 顧問/理事。
座右の銘:笑う門には福来たる

「人に対して誠実であること」

Q.どのような夢やビジョンをお持ちですか?

山縣真矢さん(以下、山縣 敬称略):日本で同性婚を実現させることです。
2019年2月、ついに日本でも、「同性婚の集団訴訟」が始まりました。若い頃、ゲイとして生きていこうと決めたとき、「結婚」という二文字を、僕は僕の人生から消去しました。愛する人とのパートナーシップはきちんと築いていけたらいいなとは考えていましたが、まだ同性婚を法制化していた国は世界のどこにもなかったし、まあ、ゲイだし、同性愛者だし、と、結婚できないことに対して、あまり疑問に思うこともありませんでした。あれから約25年。先進国に比べればかなり遅ればせながらだけど、日本で同性婚をめぐって訴訟が起こるなんて、隔世の感ですね。
いま50歳を過ぎて、21年連れ添っているパートナーもいて、中野区の同性パートナーシップ宣誓もしていますが、でも、日本では結婚ができなくて、一緒に暮らしているけど法的には赤の他人。「婚姻」は、医療や福祉、家計や金融など、さまざまな局面で生活を保障してくれる制度・サービスのパッケージで、異性同士のカップルは、当たり前の権利としてそれを選択できます。享受できます。それなのに、同性同士のカップルには、その権利がありません。選択肢がありません。ゼロではなくマイナス。これは明らかに不平等です。「同性愛者」を二級市民扱いしています。憲法14条では「法の下の平等」が保障され、13条では「幸福追求権」が謳われています。その憲法の精神に則っても、「婚姻の平等」をすべての人に開いてほしいのです。マイナスをゼロにしてほしいのです。同性同士の婚姻を認めたとして、異性カップルに何か不利益や不都合が生じるというのでしょうか。「幸せな家族」がその分、日本に増えるだけだと思うのですが……。

世界では現在、30カ国近くの国で同性婚が認められています。G7の中で同性カップルに法的保障がない国は日本だけです。台湾でも2019年5月、アジアで初めて同性婚が法制化されました。同性婚ができる国では、当事者の若者の自殺率が下がったという調査結果もあります。若い当事者が希望を持てるようになったという声もよく聞きます。もし25年前に同性婚という選択肢があったなら、20代の僕は「結婚」という言葉を消去することなく、自分のライフプランの中に組み込んでいたことでしょう。パートナーと共同で住宅ローンを組めたかもしれないし、結婚式を挙げ、支払ってばかりのご祝儀を回収できたかもしれません(笑)。
しかしながら日本の現状は、現実と乖離した「古い家族観をいまだに信奉している人も多く、選択的夫婦別姓すらも認められていません。反対勢力も根強く、ハードルも高いですが、裁判の動向を追いながら、なるべく早い時期に、同性婚を実現させたいですね。せめて僕の生きているうちに(苦笑)。

Q.「同性婚ができる社会をつくること」を具現化するために、どんな目標や計画を立てていますか?

山縣:
一人で解決できる問題ではないので、自分のできることを、自分なりにやっていこうと思っています。例えば、裁判の傍聴に行くとか、関連するシンポジウムや集会に参加するとか、SNSなどを使って発信するとか、同性婚ができないことが不平等だということを、より多くの人に知ってもらうにはどうしたらいいのかを考えながら活動しています。
アメリカでは同性婚を求める運動が始まって認められるまでにおよそ40年くらい、台湾でも30年くらいはかかっていて、簡単に解決できる問題ではないことは重々承知しています。しかし、だからといって、日本で何十年もかけていいというわけではありません。この5年以内には、実現したいですね。
すでに世界では、同性カップルにも結婚の自由を与え、「婚姻の平等」を認めることがスタンダードになってきています。この流れは今後、さらに広がっていくでしょう。なぜなら、2001年4月にオランダで世界初の同性婚が認められて以降、同性婚を法制化する国は増えていますが、一度実施したあとに問題が生じたからといって取りやめにした国は一つもありません。これは、同性婚実施が社会に問題や混乱を起こすことなく定着している証左といえるでしょう。

Q.その目標や計画に対して、現在どのような活動指針を持って、どのような(基本)活動をしていますか?

山縣:
どんな人に対しても「誠実であること、そして、どんな人の意見でもまずは聞いてみること」を心がけています。なかなか難しいことではありますが……。
東京のプライドパレードの運営に長年携わり、また、LGBTQコミュニティの中でゲイの当事者としてさまざまな活動をしてきました。この間、本当にいろいろなことがありました。いろいろな人と出会いました。考え方も価値観も、育った環境も人生経験も、年齢もセクシュアリティも、みんな違います。気の合う人もいれば、そうでない人もいます。なるべく好き嫌いで人を判断しないよう心がけてはいますが、やはり苦手な人はいます。お互い様だとは思いますが。それでも、一緒に何かをやろうと思えば、その人の話をきちんと聞いて、また、自分の考えも伝え、物事を前へ進めていけるようにと思って、活動してきました。それは、ひとえに、LGBTQのこのムーブメントを少しでも前へ進めていくこと。僕たちの世代が抱えてきた生きづらさを、次の世代の人たちが経験しなくてもいいように、若い世代の人たちに持ち越さなくてもいいように、そんな思いで活動してきました。

Q.そもそも、「社会課題を解決しよう」と思うようになったきっかけは何ですか? そこには、どのような発見や出会いがあったのですか?

山縣:
「LGBTQの課題」ということであれば、ゲイである僕自身の当事者性、LGBTQという存在のマイノリティ性でしょうかね。人間は独りで生きていくことはできません。「社会的動物」と言われます。ゲイの当事者として生きていく中で、職場や家族、友人などの人間関係においてウソをつかなければいけないことや生きづらく感じたことがありました。それを変えていきたいと思いましたし、少なくとも下の世代には僕が味わった困難を少しでも和らげたり、消していきたいと思いました。
東京レインボープライドの代表の話があったときに、僕にはリーダーシップやカリスマ性があるわけではないし、どちらかというと縁の下タイプで、代表をやるような器ではないことは自覚してはいました。しかし、周りを見回してみると、自分しかできる人間がいなくて、これはもう、やるしかないなと腹をくくって、代表を引き受けました。それぞれに個性を持った多様な人たちをまとめ、パレードを運営していくことは、とても大変なことでした。思い返すと、いろいろなことがありました。それでも、誠実さや責任感、逃げない姿勢でブレずに対応していくことで、なんとか乗り切ってきました。「代表」という器が、僕を人間的に成長させてくれたと思っています。

Q.「誠実さ」を大切にしようと思うになった背景には、何があったのですか?

山縣:
僕は三人兄弟の長男で、総領の甚六という言葉があるとおり、おっとりとして、あんまり群れることはせず、ちょっと人見知りで、ぼーっとした子供でした。そして、小さい頃から親の目を気にして、優等生であろうとしていたように思います。一方で、そういう自分があまり好きではありませんでした。それでも、さほど社交的ではないものの、人とつながりを持つことは好きで、人とのつながりは大切にしたいなとは、なんとなく思っていました。
大学を卒業後、すぐには就職せず、バックパッカーとしてアジアの国々を放浪しました。中国の新疆ウイグル自治区やチベット、ネパールやタイ、パキスタンなど、いろんな国を回りました。その中で、タクラマカン砂漠の南側、昔のシルクロードの西域南道約1,500kmを、ラクダに乗って約2ヶ月かけて走破するという旅を経験しました。任意団体が企画した、参加者も共に運営に携わるスタイルの旅でした。日本人参加者約80名、中国人のサポート隊員が約20名、総勢100名の大キャラバンです(中国隊の中には、漢族だけでなく、ラクダ使いとして雇われたウイグル族の人たちもいました。現在、大きな人権問題になっているウイグル族の強制収容所のニュースを聞くにつけ、あの時のラクダ使いさんたちは、今どうしているだろうかと心配になります)。
80名の日本隊には10代の高校生から70代のお婆さんまで、幅広い年齢層の人がいました。砂漠の旅が約2ヶ月、準備期間も入れると1年近く、その集団の中で、当時24歳の僕は、さまざまな人間を観察することができました。口先だけで実行の伴わない人、体裁ばかり気にして中身のない人。子供染みた言動をするオジサンや全然頼りにならないオジサン、年下なのにとてもしっかりした学生さん、リーダーシップのある年上の女性や頼りになる姉御肌の女性などなど。とにかく、砂漠という過酷な状況下においては、僕の中にあった性別や年齢などによる先入観はすぐに吹き飛び、世の中にはいろいろな人がいることを身をもって実感することができました。今思えば、社会人になる前に、多様な大人たちの人間模様を観察できたことは、砂漠の旅そのもの以上に、僕にとってとても貴重な人生経験となりました。そうした体験の中で、人に対する時に何が大切なのか、を学んだのです。それが「誠実さ」です。

Q.読者の方に向けて一言お願いします。

山縣:
いま、日本の社会の中で、生きづらさや不安、恐れを感じている人が、たくさんいるんじゃないのかなあと思っています。2019年の夏、僕はアウシュヴィッツを訪れたのですが、ナチスによるホロコーストへの道は、ユダヤ人に対する「ヘイト」から始まったという説明を聞きました。小さな「ヘイト」を野放しにしたその先に、ホロコーストがあったのだと。大多数の人は、差別はよくないということは、わかっています。それだからこそ、差別される人のことを想像したり、立場を置き換えて考えていくことが重要だと考えています。小さなことの積み重ねから世の中は変わっていくと信じています。自戒も込めてですが、普段の生活の中から、公正性や優しさを大切にしていってください。

記者:
人に優しく、公正性を持って向き合っている在り方は本当に凄いと思いましたし、多くの方から支持を得られていることが納得できました。貴重なお話、ありがとうございました。

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HP:


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【編集後記】
インタビューの記者を担当した不知と岩渕です。
山縣さんの様々な出会いや認識の変化のお話しは聞いていてとてもおもしろく、多くの方に知って貰いたい素敵な方だと思いました。
山縣さんのますますのご活躍を楽しみにしております。

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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