掌編「カレーパン」
なぜか鍵が開いていた物理教室に潜り込んだ。大きな机が冷たい。いつかの体育祭も辛かったのに、いま教室の外で行われている球技大会にはさらに辟易する。
クラスで練習を重ねてその成果を保護者に発表するという教育の一環なんだなとまだ納得できる体育祭とは違って、12月の学期末に暇つぶしのように挿入された球技大会はただのレクリエーションでしかない。楽しむことを強制されては困ってしまう。僕には素直に諸手を挙げてサッカーグラウンドを走り回ることはできなかった。
文庫本から顔を上げたのはドアが開く音がしたからで、つまり目が合ったのはサボりを咎められないかという恐れによるものである。視線をかち合わせている彼女は驚きの表情を浮かべて、何か言った。僕にははっきりとその内容は聞き取れなかった。でも、それはあくまでオオとかアアとかの驚きが発露したただの反応で、おおよそ発話ではないだろうから何も応答しなかった。
そのあと彼女は目をそらして(僕の方からそらしたかもしれない)、僕の隣の隣の机に座った。二人して授業よろしく黒板に向かう。彼女は紙パックの紅茶とビニール袋に包まれたパンを2、3個机の上に並べた。
文庫本に目を向けながら、僕はほっとしていた。彼女も僕も”はぐれ“だ。一応進学校だから、テストの順位が高いことでそれが許されていた。そんな彼女なら誰かに物理教室でサボっていたなどと吹聴することはないだろう。
安心が親しみを生む。彼女も僕もそのようだった。黒板を向いたまま彼女は、
「サボり?」と発した。
「 」そりゃそうだろと思いながら肯定する。
「だよね。試合の時いなかったもんね」
「 」教室ではできなかったのに簡単に言葉を交わすことができた。
一度紙パックに口をつけて、彼女は「それ。私も前に読んだよ」と、僕の文庫本を指さして言った。
「 」
「わかる。やっぱ好きなんだね」
「
」「ふふっでもさ」「
」
そこからその作家の有名なタイトルを投げ合った。別の似た作風の作家を、話題のクソ小説を語った。彼女がベーコンエピを食べ終え、カレーパンを食べ始める時には、気を許してしまっていたのだと思う。だから、
「 」と聞いてしまった。
「先輩の試合を観てた。」彼女は少しはにかみながらそう答えた。カレーパンの油で口元はわずかに昼の光を押し返していた。
「 」と返した。別にだからどうということはない。でも聞かなければよかったという後悔からだんだんと会話のテンポは鈍くなり、それを察したのか彼女は昼食を終えると黙ってスマホをいじりしばらくして先に出て行って僕は文庫本を読み進めてから誰もいない教室に戻った。
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