「自分には才能がない」と思えるのは素晴らしいこと

これは最近の私が考えたことをダラダラと書いていきます。

タイトル通り、「自分は他人と比べて才能がない」と思えることは素晴らしいことだよと言いたいです。

なぜか?
周りの人間と比べて才能がないと思えるのは、それだけ自分が努力してきた証拠だからです。

残酷な事実ですが、顔、身体的能力、身長、IQはなど、個人にとって重要な要素の多くは遺伝的な影響を大きく受けています。なので、社会的地位が上がったり、いわゆる高学歴な人たちには、才能豊かな方が多いです。
さらに、生まれ持った遺伝的な特性だけでなく、幼少期の教育環境によっても、その後の能力の成長速度が大きく異なります。
つまり、物心ついた時には、個人の能力において重要な要素がほぼ(運で)決まってしまいます。

マラソンに例えれば、そもそもみんなが横並びにスタートするわけではなく、気づいた時にはスタートラインが大きく違い、そこから走り始めます。走る速度や体格も当然運に左右されてしまいます。

では「才能がない」と思う状況はどのような時でしょうか?全人類の才能量を測ることなどできませんから、自然と自分の周りの人間と比較することになります。
例えば、他の人と比べて物覚えが悪いのは、相対的なもので自分の周りの人が記憶力が良いだけかもしれません。

しかし、それは実は誇ることです。

なぜなら、自分は周りの人と比べてガチャで決められた能力が少ないにもかかわらず、少なくとも同じ環境・土俵で戦っているからです。もし社内の人間や、同じ大学の同級生と比べて、才能で劣っていると感じても、社会的にはあなたもその才能ある友人も同じ枠組みで捉えられます。
ではその才能に差がある(ように感じる)にも関わらず、社会的に同等の評価をされるのはなぜか?それは才能の差を、あなた自身の後天的な努力によって克服したことに他なりません。たまたま優れた才能を与えられたわけでも、たまたま良い家に生まれたわけでもなく、紛れもない自身の努力なのです。これを誇らずに、何を誇るべきでしょうか?

マラソンに例えれば、1時間以上も遅れてスタートしたにも関わらず、先頭集団に追いついた状態です。追いついた時に、あなただけ他の人よりも疲労が溜まっていても、何も不自然ではないし、そのことに劣等感を抱く必要はないのです。

っと、ここまで話してきましたが、実は努力できるかどうかも遺伝的な要因が大きいという研究もあります。そこまで考え始めると、キリがないので今日はここまでにしておきます。

向かい風を感じるのは、あなたが前進している証拠なのです。

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