ペン粒という戦型について

突然ですが、皆さんは粒高ラバーを使いこなせていますか?
私がコーチとしてレッスンをしている中で、粒高ラバーを貼っていてもラバーの特徴を活かしきれていない人が多いと感じたので、粒高とはなんたるかを書かせていただきます。

目次
1.粒高使いのメンタリティ
2.粒高とはどのようなラバーか
3.ペン粒とはどのような戦型か
4.ペン粒で勝つために必要な考え方
5.ペン粒に限界はあるのか


1. 粒高使いのメンタリティ

最初は粒高を使う上で大事なメンタルについてです。これは、ペン粒であるというだけで起きる周りからのディスりや試合中にキレてくる相手に対しての心構えです。それはひたすらに一切を気にしないということです。
「粒高を使っていて楽しいのか」とか「やりづらい」とか「ペン粒のくせにツーブロックにして」とか、なぜかペン粒というだけでディスりを入れてくる攻撃型のプレーヤーが私の周りにはいました。私の知り合いからもこういった話は聞きますし、ツイッター上で「こんな事言われた」とペン粒の人たちが盛り上がっているのを見たこともあります。そんなことを言ってくる人たちに対しては、粒高の楽しさを知らないなんて可哀想な人たちだと哀れみの目で見つめてあげましょう。
次は粒高を使って試合に出た方ならおそらく一度は経験したことであろう、試合中にキレる相手に対してです。ここで萎縮してしまっては絶対にダメです。私の経験としてペン粒は、どうしてもラリー中にネットインが増える傾向にあると思います。そんなペン粒のネットインに対して烈火の如く怒る人がたまにいます。また、戦型的にやりづらいというのも火に油を注いでいるのでしょう。私も今まで沢山の人を怒らせてきました。でっかい声で「ネット多すぎ」と怒鳴りつけてくる人やめちゃくちゃ睨みつけてくる人もいました。それも全国大会でです。ネットとサポートを一回全部外して設置し直す人までいました。その次のプレーでまたネットインをしてその人は完全に戦意を喪失していましたが…(笑)。そんな相手にいちいち萎縮していたら勝てる試合も負けてしまいます。ルールに則って正々堂々戦っているのですから、胸を張ってネットインをしてください。怒ってきたら相手は冷静さを失ってる、ラッキーという気持ちでいましょう。
粒高使いとして大切なことは気にしないこと。何を言われようがポジティブシンキングです。


2.粒高とはどのようなラバーか

ここからは少し真面目な話をします。
粒高ラバーの特徴を活かしつつ安定してプレーするためにはどのようにすれば良いでしょうか。それは、相手の回転に逆らわないということです。
粒高ラバーは裏ソフトラバーと比べたときに摩擦が殆どありません。ということは自分から回転をかけづらく、相手の回転の影響を受けづらいということです。
したがって、ボールの回転に逆らってラバーに引っ掛けて打つような技術は、難しいということです。ツッツキや上回転に対する攻撃などがその技術にあたります。これらの技術を使わずに相手の回転に逆らわないで打つことが、粒高で打球を安定させるためのコツです。下回転がきたら上回転に、上回転がきたら下回転にして返す。その方法が、プッシュとカットブロックなのです。当然、レベルが上がってくればそれら以外の技術も必要になってきますが、まず安定して台に入れるためにはこの2つの技術は必ずマスターするべきだと思います。
少しややこしい話になりましたが、「粒高ラバーは摩擦が少ない」ということを頭に入れて使用すると技術のポイントも理解しやすくなるのではないでしょうか。
ちなみによく言われるラバーの特性の「粒が倒れる云々」は実際の打球時の粒の動きを目視できず、どのような動きをしているのかわからないため解説はできません。「粒が倒れる気がする」程度のものなので、実際にその動きを捉えた映像をご存知の方がいましたら教えて下さい。


3.ペン粒とはどのような戦型か

それではそんな粒高ラバーをペンに貼ったペン粒とはどのような戦型でしょう。
私の考えは、ペン粒の戦型にはいろいろなプレースタイルがあるということです。ペンに粒高ラバーを貼っているからペン粒。その戦い方には様々な可能性が秘められていると私は考えています。
ところが、日本ではペン粒は守備的な戦型というイメージがあるのではないでしょうか。台に近づきブロックとプッシュで粘り、コースをついて相手のミスを誘う。ペン粒と聞いて、我々の多くが想像するプレースタイルです。かく言う私もこのイメージ通りのペン粒スタイルです。攻撃を取り入れていた時期もありましたが、最終的には守備的なプレースタイルになってしまいました。ところが、中国だとこのイメージはないようなのです。ある卓球場の中国人コーチから聞いた話では、その方のチームにいたペン粒の選手は、ペン表の速攻型の選手のように打つというのです。現に今世界で活躍する唯一のペン粒の選手の倪夏蓮選手は攻撃的です(中国からの帰化選手で現在はルクセンブルク国籍)。バックブロックこそ使いますが、フォア側はほとんど攻撃です。また、回り込んでのフォアハンドも積極的に使います。さすがに、ペン表の選手ほどバチバチ打ち込むわけではないですが、我々のペン粒像よりかは遥かに攻撃的なのではないでしょうか。少なくとも粘ってミスを誘うことが得点源ではないようです。
ここで私が言いたいことは攻撃型と守備型、どちらかが正しいという話ではありません。守備的なプレースタイルでオリンピックに2回出場し、活躍したペン粒界のレジェンド海津富美代選手もいます。何が言いたいのかというとペン粒といっても色々な戦型があるということです。日本だと、どうしてもペン粒=守備型というイメージがついていると思います。ペン粒という戦型を選んだ時点で守備の練習から入り、それができてから攻撃の練習と言うパターンが多いのではないでしょうか。その型に嵌めてしまうことで、ペン粒というプレースタイルがさらに狭まってしまうのではないかと思います。一度がちがちに守備的なプレーになってしまうとそこから攻撃を取り入れるのは難しいです。実際に私がそうでした(この辺の話は長くなるのでまた別の機会に)。最初から攻撃の練習をした方がいいなどと無責任なことは言えませんが、粒高ラバーを使った様々なプレーが生まれることによって粒高界全体のレベルが上がっていくのではないでしょうか。
ペン粒とはどんな戦型かと問われれば「色々あります」と答えられるような多彩なプレースタイルがあればいいなと思います。
少し大げさな話になってしまいましたが、ペン粒界全体のレベルが上がることで、強い選手が今後出てくることを心から願っています。さらには日本のみならず世界で活躍できるようなペン粒の選手が出てきて、世界一になる日がくれば文句なしです(本気です)。


4.ペン粒で勝つために必要な考え方

ここでは技術的なことではなくて私が必要だと思う考え方について書いていきます。
それは「精神的な攻め」と「プレーとしての攻め」です。精神的な攻めというのは、実際に攻撃をしなければならないというわけではなく、受け身にならないようにするということです。ブロックをするときでもしっかり切ることやコースをつくこと、打球点を早く打って相手の時間を奪うことなどを意識します。ただ台に入れてミスを待つという考えでは、受け身になってしまっていると言えるでしょう。打たれて守っているのではなく、打たせて次の攻めにつなげるという意識が大切です。
プレーとしての攻めというのは文字通り攻めるプレーのことです。守備的なプレーが中心だとしても点を取る手段は攻撃にして、意識をそこへ向けます。どういうことかというと「厳しいコースにブロック」や「カットブロックを切る」という意識ではなく、その先の攻撃を想定するということです。「厳しいコースにブロック→甘く返球されたボールをスマッシュ」や「カットブロックを切る→ツッツキのボールをプッシュ」といったようにブロックから反撃というパターンをつくります。この意識がないと相手にプレッシャーを与えることができません。相手がこちらのブロックに対して連続で打ち込めなくなったときは、すかさず反撃に転じる。そのことで、相手は「甘いボールで返球すると反撃される」というプレッシャーによりミスも出るでしょう。連続で攻め込むような攻撃力が必ずしも必要とは思いませんが、効果的な場面で攻撃を使うことは粒高にとっては必須の心構えと言えるでしょう。
この「精神的な攻め」と「プレーとしての攻め」を意識することで同じ技術力でもプレーは変わってくると思います。もちろん、それを実行できるだけの技術力が必要ですが…。そこは練習あるのみです。


5.ペン粒に限界はあるのか

この問いに対する私の回答は「そんなん知るか」です。
「ペン粒には限界がある。」この言葉、我々ペン粒なら一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。かくいう私も卓球を始めた当初から耳にしてきました。中学生の頃は、「ペン粒では高校生になったら勝てない」と言われ、高校生になると「大学では勝てない」と言われました。その勝てないというのがどのレベルを想定しているのかわからないので、ほらやっぱりペン粒で全国優勝できなかったと言われてしまえばそれまでなのですが、それは私がペン粒だったからではありません。私が負けてきた試合の多くは、別にペン粒じゃなくても勝てなかったでしょう。少なくとも私の守備的なプレーでも全日本選手権の3回戦まではいけました。中学校から始めて、ただブロックとプッシュだけで全日本に出られる戦型なんて粒高だけなのではないでしょうか。そりゃあ、攻撃型の選手は羨んで「どうせ限界がある」と言ってきても不思議ではないと私は思っています。
私の実体験からもわかるように外野の人間は無責任でいい加減です。特に深い意味はなく限界があると言ってくるのです。そんな人の言葉に耳を貸す必要はありません。もし、ペン粒に限界を感じている人がいるとすればそれはペン粒の限界ではなくあなたの限界です。人は誰しもどこかに限界があります。それは裏ソフトでも表ソフトでも同じです。自分で限界を認めたところがその人の限界なのです。

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