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欧米の“活動家”たちはなぜこれほどまでに“一発屋”の宝庫なのか 〜シーシェパードの盛衰から観察する浅はかさ〜(前)
最近の欧米の“活動家”たちの迷惑野郎っぷりには、
ただニュースを見聞きしているだけで、
直接被害を被って無くても辟易する。
何か“正義”を主張する為であれば何をしてもいい、
関係の無い何かを巻き込んでも、破壊してもいい。
そんな到底日本人には(というか極小数を除く欧米人にも)理解出来ぬ理屈がまかり通っている。
これも現代の分断が産んだ代物か…
勝手に自分で帰結させようとした時、思い出したのだ。
そう、シーシェパードである。
自分でもよくぞ覚えていたもんだと褒めてやりたくなるくらいには、滅多にその名を聞かなくなった。
時代背景も似ているようで全く違う
(今世紀は西暦の十の位が変わる毎に時代が変わる)
シーシェパードと、昨今の環境保護“活動家”や、
ヴィーガン“活動家”に、共通点を感じた。
荒くれ者がひとしきり他人に迷惑をかけた後に
しれっと消えていく…
迷惑をかけまくっている時には随分とインパクトを
残してくれる彼らだが、消える時には誰にも注目されることなく消えていく。
いや、現実には消えてはいないのだが、
全く外の人間から興味を持たれなくなる。
つまり、メディアから一切扱われなくなる。
勝手に足掻いてはいるがなんの意味も無い。
そんな随分と惨めな結末を歩んでいく。
さて、なぜ揃いも揃ってそんな結末へ歩んでいくのか、
というのが今回の論点であるが、その本題は後編へ移ろう。
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