三途の川から手紙をください

備忘録。思い出が薄れる前に書き留めておく。
一番間近でみた理想の夫婦像なのかもしれない。

元旦に私の父方の祖母が他界しました。旦那の実家に帰省していたときに知らせを受け、三が日が明けてから急いで帰ろうとしていた矢先、今度は3日に祖父が息を引き取りました。祖母92歳、祖父93歳の大往生。大きな病気もせず、祖母に関しては亡くなる数日前までコロコロ笑って楽しそうに過ごしていたようです。

祖母が眠るようにこの世を去った日、祖父はその数日前から入院して意識がない状態でした。

生前、「俺はばあさんを見送ってから逝くんだ」と事あるごとに言っていた祖父。

祖母の命の灯火が燃え尽きたことを、意識がない状態でも察知したのかもしれません。まさに言葉通りに後を追うように生涯を終えました。

2人の愛の深さと死に際の潔さに親族一同、あのじいさんらしい最期だったと口を揃えて語っていたのが印象的でした。それぐらい、とにかく強烈な印象を残す愛すべきアホなじい様でした。

祖父は近所でも有名な、それはそれは個性の強い自由奔放で破天荒な人でした。たぶん彼の辞書に、迎合や忖度という言葉は存在しない。

バイクが大好きで、80過ぎまで大きなバイクを粋に乗りこなし、あるときは富士山の5合目までバイクで登ってきた、とか事後報告してくるような、そんな人でした。

一度、田舎の畦道を1人で疾走しているときに脳卒中を起こして転倒し入院する事件があって、家族の猛反対の末、バイクを諦めたそうです。

私が社会人2年目ぐらいのときだろうか。退院日の朝、父が病院にお迎えに行ったら、病院嫌いのじい様、退院できると知るやいなや、なんと勝手に点滴とか外して病院着のまんま5キロ以上もある道のりを歩いて帰ってきてしまったことがあって、大捜索で大騒ぎになったことも。じい様、5分ぐらいじっとしとけ。

そんなこんなで珍事件をあげればキリがないのですが、その一方で家ではばあ様がいないと何もできない人でした。

歌と踊りが好きだったばあ様が、歌仲間と一緒に旅行に出かける日なんか、「じいさんには言うな、言うといつも今日は具合が悪いとか言い出すから」と家族に念押しして、ご飯だけ作り置きしてスススッと出かけてしまうのだけど、あとでじい様軽くパニック。親戚中に電話しまくって、ばあさんがいないとそれはそれは大騒ぎしていたようです。

そんなせっかちでじっとしていられないじい様の隣では、大らかでのんびりしたばあ様が、文句ひとつ言わずに朗らかに過ごしていて、こんな対極的な夫婦が70年以上も寄り添った末に、数日差で天国へと旅立ったのです。奇跡だなと。

私が生まれた頃には、祖父は事業を興して成功しセミリタイアをしていたので、24時間365日夫婦で過ごす生活スタイルでした。毎日ずっと顔を合わせていれば喧嘩の1つでもしそうなのに、一緒に住んでいた幼少期の頃の記憶を辿っても、2人が喧嘩しているのを見たことがありません。親族みな、同じだそうです。

久々に一族が顔を合わせ、それぞれの思い出話を聞きながら、夫婦ってなんだろうと考えさせられました。血の繋がりのない男女が結婚し、子どもをもうけて命のバトンを繋ぐ。妻に限っては、血縁関係のない者たちが眠るお墓に入るわけです。それってすごいことだなと。

大正生まれのじい様は、負け戦の後にロシアで捕虜となり、3年近くを凍てつくシベリアの地で過ごしたそうです。まだたったの18歳。本来ならば青春真っ只中のときに、生死が隣り合わせの環境で過ごしました。

厳しい環境の中で病死する者が多く、脱走兵が銃殺されるのを何度も目撃したそう。幾人もの死体を埋める仕事も経験したとか。町内でたった数人だけ生還できた中の1人が祖父でした。私は本人の口から、そんな厳しい中を生き抜いてきたなんて話を聞いたことがありませんでした。

生前、「時間たっぷりあるんだし、海外旅行とかしないの?」と父が祖父に尋ねたところ、怒り狂って「あんなところ行くか、俺はロシアに3年も留学してたんだ!」と言っていたそうです。

帰国後すぐに結婚して、3人の男の子をもうけ、派手な遊びもせずに、ただただ寄り添うようにばあ様と暮らしてきた祖父。

彼の人生を思うと、「お疲れさま、天国でもゆっくり2人で過ごしてくださいね」と祈るような気持ちで手を合わせてしまいます。

読経後に生前の2人をよく知る住職の方が、「今頃はヨシロウさんがコトさんの手を引きながら、三途の川を逞しく渡ろうとしてるところでしょうね」とおっしゃっていました。30年以上お坊さんをして、老衰で同時期に亡くなって合同葬儀をするのは初めてのことだそう。

葬儀場に仲良く並ぶ遺影を見ながら、何度も浮かんだ光景があります。

三途の川の前でガニ股気味にズンズン歩く祖父の大きくゴツゴツした手に引かれて、そんなに急ぎなさんなと言いながらも嬉しそうに歩く、丸くて小さな祖母の後ろ姿。

生きているうちに顔を出せなくてごめんね。どうかあちらの世界でも、仲良くお過ごしくださいね。

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