満員電車に乗らなくていい生活にも別の苦しさはある

1週間のうち2日は取材や打ち合わせに、残りのほとんどは企画や執筆に時間を費やしている。そのため、私の家での滞在時間はとてもとても長い。

気分の変化を求めてお気に入りのカフェや取材帰りにどこか別の街で仕事をすることも当然ある。でも、これは毎回というわけにはいかないのだ。というのも、本の執筆など1冊分ガッツリ書くとなると、資料が大量で持ち運びができるレベル感ではない。紙の資料だってざっと机に広げながらやりたいし、執筆のピークとなると参考書籍は15冊以上がうず高く積まれる

よく物書きの人が書斎をもつという話を聞くが、書き物をする人の場合は特に私生活との分離が物理的に難しくなるし、気持ちにメリハリをつけるという意味でも必要なことなのだろうと思う。

フリーランスは、好きなときに好きな飲み物でホッと一息入れられるし、満員電車に乗る必要もない。書き物に飽きたら本を読むことだって、テレビを見ることだってできる。実際、私も自由気ままな一人が好きだし、ずっと何かを書いて生きていけるのだったら幸せだと思っていた。

が、実際にこの生活を続けてみるとわかったのだけど、ずっとこもりきりで書き続けていると、いくら好きな内容のことを書いていたとしても、精神的にやや危うい状態になってくる。資料を大量に飲み込み、そこから写経のように文章を編み出す。私の場合は特に人物取材系の記事だとイタコのように言葉をおろして書き出すやり方なので、すごくエネルギーを使うのだ。当然、気分よく書けるときと、ピタリと言葉が出てこなくなるときがある。

先日、エッセイストとして20年以上のキャリアのある方にお会いしたときに、ずっと書き続けていると発狂しそうになるときがある、という話をぽつりとしてみたところ、その方も同じだとおっしゃっていた。どうしようもない話をするために、定期的に人に会うのがいいそうだ。

まさにそう。人に会ってただ話すだけでスッキリする。家族との会話とは違う、別の空気を体に入れないと、心の空気が淀み言葉が出てこなくなるのだ。それがわかってから、私は月に何度か、ただ人に会って話すということをしに、いそいそとあちこち出かけるようになった。それが取材などの仕事の場合もあるし、友だちや近所の人たちとの集いの場のときもある。

今更ながら、言葉に関わる仕事をする者たち同士が、ただ集って語らう場を作りたいな、と思い始めたところだ。

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