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お茶でも飲みながら。

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日記っぽいものや、思いついたことなど。軽め。
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#自分

少しで良い、この世界に「私」を覚えていて欲しかった。という話。

息をするために書いているような、そんな時期があった。 自分が今生きているのかどうか、感触…

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「書けない」事が多すぎた、二十歳の頃の自分に伝えたい話。

二十歳の私へ。 今日も元気にやさぐれていますか。それともヤンデレていますか。自分が世界一…

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長年『自分を名前呼びする女』をやってきたけれど、という話。

ぴろろさんのこちらの記事で、「一人称が名前の女子は自己肯定感高い」とあるのを見て、確かに…

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失敗する、という勇気の話。

「星のカービィ」が大好きで、家では常に語尾に「ぽよ」を付けて喋る私の息子は、大変な自信家…

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「自分の気持ちが分からない」=「失感情症」と呼ぶらしい、という話。

この記事で、私は自分のネガティブな感情を認識しにくい、と書いた。 私には、「悲しい」と「…

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自分が救われていなければ、他人を救うことは出来ない、という話。

「社会貢献」とか「みんなが生きやすい社会を」みたいな話に、昔から全く興味が持てない。 意…

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「自分はこれが嫌だ、我慢している」に気付く自体が難しい、という話。

毒親育ちだから、だとは思うのだが、私はどうも自分の感情を自覚するのが苦手である。ネガティブな感情は特に。 なので、「嫌なことを我慢しない」とか「嫌なときはきちんと他人に伝える」を実行しようとしても、それ以前の問題として、「私は本当はこれが嫌だけれど、我慢している」を発見すること自体に非常に難儀してしまう。 私の頭の中では日頃から、「こんなことは別に嫌がるほどのことでもない。何故なら(以下略)」「この程度、我慢というほどのことでもない。何故なら(以下略)」という理屈が大量に渦