実力をつけることも、人との出会いも大切。
「私も先生みたいにイタリア呼んでもらえないですかね?」と生徒に言われまして、すこし間を置き「呼んでくれる人を見つければいいと思う」と答えました。
先日、いけばな教室を始めて8年目を迎えることができました。神宮前に教室を構えていた昨年までは、毎週に3回それぞれ200〜300本程度の花材を仕入れては一人でコンディショニングし、ほぼ毎日欠かさず5〜10杯の花をいけ、それとは別にお稽古での手直しやそれなりのボリューム感のある会場装花、カフェなどへの定期いけ込みなどを行ってきました。少なく見積もっても通算20万本程度の花のコンディショニングと、1万杯を超えるいけばなをかたちにしてきたことになります。始める前に10年ほどいけばなを習っていたとはいえ、いけばなを仕事にしてから触れた花の数に比べたら、ほとんど触れてないといってもいいぐらい。もっとも、お稽古に行けない日にも街路樹を見上げ、花の枝どりの訓練などは日々欠かしませんでしたから、花材を判断するということについては10年分の蓄積があったわけです。
また花のコンディショニングの本数だけでいえば、決して多い数字ではないと思います。名の知れた花屋さんであれば一回の仕入れで万本単位を仕入れ、それを数名で下処理するわけでしょうから、1年どころかもしかしたら半年程度で通り過ぎる本数かも知れません(大手で働いたことがないので市場でチラ見した程度に基づいたざっくりイメージですいません)。個人での限界はまだまだ先にあるにせよ、大手に属する利はこうしたところにある気もします。ただ自分は、一本一本のキャラクタに即していけばな向き、アレンジメント向きにと花を見極める訓練の時間も兼ねていたので、この時間が今につながる礎となったことに変わりはありません。
花のコンディショニングや日々のいけばな、お稽古での手直し、いけ込みを続けてきた日々は、目に見えるところでは、ざっくりいけばなの技量といえそうな、花の合わせ方、保たせ方、リクエストに適応できる技術的な引き出し、花材を選ぶ目、空間を把握、構成する力。目に見えないところでは、いけばなの思想的な理解や構成の裏付け、企画意図に対する思考的なリアクション、その他、WS参加者の違いによる展開の違いなどなどの糧になっています。
それはさておいて、出会いは大切です。どうして彼が、彼女が、あの店が、と思うことは恥ずかしながら今でもいくらだってあります。上記した裏付けや糧なんて、これまでかたちにしてきた結果以上の社会的な価値は持ちません。だからこそ、呼ばれたいなら「呼んでくれる人を見つける」ほかないんじゃないかと。ただ、呼んでくれる人を見つける、ないしは見つけてもらうための可能性を高める術はこの時代、多様にあります。SNS等で自身の作品をアップすること、目に留まるような仕事ができる場に売り込むこと(僕自身できてないと気づきました)、記すこと。ここについては自分の弱点であり、今以て継続中の花を仕事にする上での課題です。
もちろん、社会的な価値とは別に、自らの経験値を増やしておくことは忘れずに。呼んでくれる人に出会えた時に、ビビらず立ち向かえるのは自らの経験に他ならないわけですから。そこで、呼んでくれる人を見つけつつ、1万杯を向こう1年で生けようと思ったら、365日で割って1日およそ27杯、一杯10分で1時間で6杯、およそ5時間弱で日々のノルマを達成。お稽古だと一杯いけるのに50分〜1時間かかってますから、ノルマを達成するころには1日が終わります。だからまずは一杯10分で満足できる花をコンスタントにいけられるようにする必要があります。なかなかの道のりであります。