「渡来徹さんは、おじいちゃんですか?」
残り物の福を求めに、装花させていただいた【森岡成好 森岡由利子 焼き物展】へ立ち寄りました。会期中三度目にして最終日。
あらま、目ぼしい花器があれもこれも残っている。
コロナ禍にあって作陶展やギャラリーのあり方が問われている様子は、SNS等でいくつかフォローしているうつわギャラリーがこぞってECサイトを開設していること、そして良品がいくつも売れ残っていることからも窺い知れます。
「店に行くのは憚られるけれども、好きな作家さんの作品を買いたい」
「うつわはやっぱり手にして買いたい、初見の作家ではなくても」
なんてお客さんの心情と店のあり方のせめぎ合い。
このことについて僕は何か語れる人間ではないので、しばし推移を見守りつつ、信頼できるギャラリーやつくり手の力になれるよう、買う、使う、紹介する。
【森岡成好 森岡由利子 焼き物展】の会場であるギャラリー『招山 由比ヶ浜』のオーナーとお話ししているとこう、言われました
「そういえば先日ね、渡来さんの装花をご覧になった方から『渡来徹さんは、おじいちゃんですか?』って聞かれましたよ」と。
思わず僕は「あはは」と、声に出して笑ってしまった。40代後半から50代前半と思しき女性で、お花を習っているのだと話したそうです。
このことからいろんなことが身勝手に想像されます。
...あぁちがう、想像はもとより身勝手で我が儘なものでした。
・いけ込みを見て彼女はなぜ、自分よりも年上がいけたと思ったのだろう。
・招山さんはSNSで僕のアカウントをタグ付してくださっていた。けれども彼女はそれを見てきたのではないのだろう。
・あ、いや別に見てくれていたとて、僕のアカウントには年齢は書いてないか。でも、写真に添えられた文章はおじいちゃんの話ぶりではないつもりだけれど。
・そういえば僕のインスタを見て体験レッスンに来てくれた方に「渡来さんて女性の方だと思っていました」と言われたこともあったな。顔出してるけど。
・彼女は花型のお稽古をいまも続けていらっしゃるのだろうか。
・僕の花を見て"自然体"と捉えたのか、はたまた"正気がない"と感じたのか。
僕の花は、僕の経験値=価値観を元に具現化したものです。
同様に鑑賞者の感想は、鑑賞者の経験値=価値観を元に発せられるものです。
様々な境遇があり、様々な判断がある。だから一致しなくてもモーマンタイ。
一杯の花にも数多の捉え方が生まれる所以があります。
以下もそんな感想のひとつ。
このテクストで花友達であり生徒でもある前田さんは、こう綴ってくれました。
"庭木のグミの大枝をそのままダイナミックに投げ入れられていました。ああ、こんな風に大胆にお花をいけてみたいなぁと、伸びやかな作品に大いに刺激を受けました。"
大胆なお花、伸びやかな作品。
摂理にしたがって花のままに気ままにあるがままに。
僕は高齢者でもなく、我が子に子供が生まれたわけでもないので、どちらの意味でもおじいちゃんでは現状ありません。しかし、拙著にも書いたように、高校生の頃の過ごし方を大人になってから話すと「隠居か!」なんて突っ込まれることも少なからずでしたので、高校生の頃に御隠居さんでそれから25年ほど、まぁいい感じにおじいさんとして年齢を重ねているのだとしたら、幸いです。(お終い)
*以下に装花の写真を載せておきますので、よかったら感想をお聞かせください。
ありがたくいただき、世界のどこかにタネを撒こうと思います。