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The Hermit:隠者

Hermitというと、自動的にロシアの美術館を思い出す。エルミタージュ美術館だ。これは隠れ家という意味を持つ。

隠れる者、そんな意味合いだろうか。西洋の文化の中にも、もちろん日本の文化の中にも、いわば世捨て人のような施設も人物もいる。古今東西、といって差し支えないかもしれない。そういう意味では、「隠者」とは極めてユニバーサルな、どこにでもいる(つまりあなたのなかにもいる)存在なのだろう。それゆえに、ともすれば隠してしまいそうなこの存在を、タロットはあえて22枚の大アルカナのなかに存在させることによって、隠さずにその存在を明確にさせているとも言える。

現世に嫌になり、引きこもってしまうような現象はどこにでも、誰にでも、いつでもありうることなのだろう。それが、ダメなことといってしまうのは簡単だ。しかし、この普遍性を考えると、普通のことであるとも言える。何も特別なことではない、極めて普通のことなのだろう。

日本でもかつては隠居という文化があった(韓国にもそういうのがあるらしい)。山の中の別荘などに引き篭もって自然とともに生きる、そんなことも悪くない。信仰に生きるのであれば、修道院なんてのもある。

隠居の生活とは、一歩引いて自分を、または人を、世界をみることだろう。多くの情報に溺れることなく、自分のペースで世界を感じることなのだ。そうすることによって、クリアに見えてくるものも多くある。聞こえてくる声もある。感じる香りもある。誰もがそうする必要はないだろうけれど、そういう環境を必要としている人は少ないないだろうし、さらには、誰もがそのような可能性もあるのだろう。

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