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植物のように生きたい~マルクス・アウレリウス~

自分が善行をしたという素振りを全く見せない人もいる。あたかもブドウの木が一房のブドウを実らせながら、それ以上何も要求しないかのように。
そのような人が善行を施しても吹聴したりせず、ブドウの木が、時が来れば次の身を結ぶように、淡々と次の善行を施すのである。
~マルクス・アウレリウス~『自省録』

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リーダーとは

・Giverである
・『やって見せ、やらせてみせて、止める』のが仕事
・当たり前のベースを高くする
・風土を作る
・課ぐらいの規模ならば、自分+2人で文化を作る

ブドウの代わりに桜

桜は自らの意思で咲き、人々を引き付ける。
そこに人のためにという打算的な考えはない。
自分のため、自由に咲き誇るのに人々を動かす力がある。
散り際も見事だし、葉桜もまた凛々しくたたずむ。

黒後家蜘蛛のロビー

アヴァロン「哲人皇帝らしいリーダー論を披露しているね。」
ドレイク「この言葉だけを聞くと孟子の『性善説』的な考えの印象を受ける。アピールなどしなくても善行は評価されるといっているようなものだからねぇ。」
ルーピン「どちらかというと、そういった評価される/されないといった二元論ではなく、『徳に従って生きる』ストア哲学の根幹を実践するように戒めているようだ。もしかしたら、皇帝としてつらい時期に自分を勇気づけるための言葉かもしれないね。」
ゴンザロ「リーダー論というと私はマキャベリの『君主論』を思い出すよ。あれは場合によっては悪道に踏み込まなければいけないということだからね。
マキャベリとマルクスがあったらどんな話をするか気になるじゃないか。」

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