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真の人格者は言い争わない~エピクテトス~

美しく善良な人は誰とも争わないし、
また可能な限り、他人にも争いをさせない。
これが人格を備えるということの意味だ。
何が自分に関する事柄で、何がそうでないかをわきまえるのである。
そのようにふるまう人に、争いごとの余地などあるだろうか?
エピクテトス先生『語録』

想起
『他人は仲間』
⇒アドラー先生の言葉
ディスカッションと言い争いの違い
⇒ディスカッションには感情は不要だが、言い争いは感情によって生じる。
怒ると叱るの違い
⇒怒るは自分のため、叱るは相手のため

感想
自分が人格者だとは思わないが、
以前と比べると感情的になる場面が減った。
理由は、アドラー先生の『課題の分離』や『目的論』を意識したからだ。

たとえ話
企画提案などでも自分の企画が通るか否かのゼロサムゲーム、
競争の関係になっている場合は人格者とはいえない。
目的論で考えると、善い企画を生み出すことによるビジネスの成功、
ひいては社会貢献が目的だ。
目的が同じなのに競争の関係になるのはおかしい。
自分の企画を通す必要はないし、
誰かの企画に固執する必要はない。
組み合わせや多面的な視点から最終的に善い製品を
世の中に出すことを考えることが人格者である。
人格者というのは全体的大局的な視点の持ち主ともいえる。

引用
ストア派哲学入門

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