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31年前の出来事

1993年7月12日。
この日の午前、羽田行きの飛行中を新千歳空港で待っていた。
この数日間前からの出来事は未だに覚えている。

事の発端は仕事でのトラブル。自分の担当していた装置に不具合が生じていると木曜に連絡が入った。
現場は倶知安。
復旧対応は土曜深夜から日曜にかけて実施と予定された。
ドタバタの週末が始まった。

金曜に友人達との宴会を企画していたが当然参加不可能。なので会社同期に代理をお願いした。
一方で出張前の事前準備のため工場の在る小山に向かう事になる。
で、工場で作業しながら、本社からの状況確認やら顧客調整内容の連絡と、同期から幹事段取りについての問い合わせが、交互に幾度もやってくる。
この時代はパソコン通信すらなく、全て内線電話。度重なる電話の都度作業が止められるので、事前準備もままならず。(笑)

今度は土曜日の新千歳行きの飛行中が全く空き席無く、金曜夜に移動せよとの連絡。宿は札幌方面予約出来ず、逆の苫小牧。(笑)

土曜朝苫小牧から倶知安へ札幌、小樽経由で移動。
仕事故スーツ着用の自分、季節柄観光客ばかりの車内で浮きまくり。(笑)

倶知安到着後、集合時間までマッタリと過ごし、22時から準備。
詳しく書けないが、諸々問題発生しつつも最終的には正常復旧。
帰りの札幌までのバスでは爆睡。日曜午後の羽田行き便の空き無く、新千歳界隈で一泊。
そして7/12に話が戻る。

朝早めの便のためか待合はリーマンばかりで、待合席の空きが無い。
その中、ポッと空いてる席が有り、座ると横のおじさんがやたら喋る。
聞きたくも無いけど、たけしさんが云々とやたら話すので、チラ見したら
なんと林家ペーさん、その人。(笑)
当然相方も、と思ったらピンクの三角ワンピースが登場。凄いけど有る意味期待通り。(笑)

無事羽田に到着、会社に戻り出張報告書をoasysで作成し、寮の自室に戻ったのが確か22時過ぎ。今ならブラック認定?!(笑)

TV電源入れると、映し出されたニュースは北海道西南沖の震災を報じていた。10m級の津波が奥尻を襲ったと。
帰京日が一日遅かったら、今ここには居なかったかもしれないタイミングと認識し言葉を失う。

そして今。

訪れる事の無かった奥尻に仕事で来ることになった。東日本大震災で郷里宮城の沿岸部が10m級の津波被害を受けた後、ここを訪れる事に縁を感じた
そして、この災害に関連した震災復興記念館の傍に滞在したこの4日間の
最終日にその記念館を見学し、東日本大震災の時と変わらない惨状だったことを思い知らされた。

そんな縁を勝手に感じ取りつつ、車で2時間足らずで周回出来る奥尻島は
自然豊かな景観で、特に海の本当に綺麗な奥尻ブルーに感銘を受けた。

旬より早い来島だったため、ウニを食することは出来なかったが、島の定食やら寿司を頂く事が出来、その旨さに舌鼓を打ちつつ、やっぱり奥尻地酒を堪能してしまう自分。

長く生きることでつながる事、見えて来ることがあるんだなと実感した宵。