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私が『ぼっち・ざ・ろっく!』を観ている理由。


「何かを好きになるのに理由はいらない。」

そんな言葉をよく耳にする。

果たして本当にそうだろうか?

僕は『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品が好きだ。病的なまでに。

なぜこの作品がこんなに好きなのか、自分でもよくわかっていなかった。
しかし、この作品に触れ続けてきてようやくその理由がわかった気がする。

僕がこの作品が好きな理由を語ることが、この作品の魅力を1人でも多くの人に伝えることに繋がるかもしれない。

そんな願いをこめて、語っていく。

(※作品の内容に関する軽度なネタバレがございます。)


◯『ぼっち・ざ・ろっく!』とは

『ぼっち・ざ・ろっく!』(以下『ぼざろ』)は、まんがタイムきららMAXで連載中のはまじあき先生による4コマ漫画である。

極度の人見知りである高校一年生の後藤ひとりが、ドラマーの伊地知虹夏から偶然声をかけられたことで憧れていたバンド活動を始めるというストーリー。

2022年10月から12月までテレビアニメが放送されていた。2024年6月に劇場版総集編前編が公開され、8月には後編が公開される。


◯『ぼざろ』との出会い


2022年10月。

このクールに放送開始されるアニメはたくさんの注目作品が揃っていた。

アニメオタクは「どれが覇権を取るのか」みたいなことをSNS上などで語るのが好きな生き物である。

そんな生態を持つ獣たちにとって、このクールは最高の餌場だったと思う。

僕もそんな獣のうちの1人、いや1頭。
楽しみなクールが始まるなと思っていたが、『ぼざろ』にはそこまで注目はしていなかった。

僕はアニメが始まる時期になると、大体10〜15前後の気になる作品をピックアップして、それらをできるだけ最終話まで観るという視聴スタイルを取っている。

ピックアップの基準としては、「好きな作品の続編」「好きな声優さんが出演してる」「好きな作品と同じ製作陣」「キャラクターデザインが好み」「好きなジャンル(ラブコメ、百合など)」等である。
具体的なストーリーはあまり考慮に入れていない。

ストーリーや設定というのは、アニメの面白さにさほど関係がない要素だと個人的には考えている。
今日までに数多のアニメ作品が作られてきて、もう真新しいストーリーや設定というのは出尽くしたのではないかと思う。
これから生み出されるどんな名作も、一部の人間からは必ず「○○のパクリ」と言われてしまうような気がする。
よって、ストーリーや設定よりも作り手のこだわりが感じられる演出とか音楽とか演技とか、そういうものを楽しむ方が満足度が高いというのが自論である。

ピックアップした作品の中には「これは絶対観たい!楽しみ!」という作品もあれば、「まあ一応観ておくか」という作品も当然ある。

『ぼざろ』は完全に後者だった。

今となってはなぜ『ぼざろ』をピックアップしたのかもあまり覚えていなくて、「きららアニメでバンドもの……『けいおん!』じゃん」くらいの感覚だったかもしれない。

それくらいの期待値で見始めた作品に、後に完全に心を奪われてしまうことをこのときの僕はまだ知らない……


◯共感できる主人公、見慣れた街並み



特別な期待を持たない状態で第1話を視聴することになったわけだが、視聴後すぐにこの作品の魅力に引き込まれることになる。

この作品の主人公であるぼっちちゃんこと後藤ひとりは極度の人見知りで陰キャとして描かれている。

人見知りの描写として僕が1番感動したのが、後藤ひとりが返事をするときに毎回「あ、はい」と言うところである。

「はい」の前に必ず何故か「あ」を付けてしまうという人見知りあるある、僕を含めた全ての人見知り陰キャたちは身に覚えしかなくて驚愕したのではないだろうか。

これをアニメで表現したキャラクターはこれまでいなかったような気がして、大喜利で新しい角度の回答を出されたときのような感覚を覚えた。

加えて、そんな後藤ひとりを演じる青山吉能さんの演技にも衝撃を受けた。

人見知り特有の腹から声が出てない感じ、覇気の無さ、コミカルさの中に確かなリアリティを感じる声。
ただの誇張した可愛らしい人見知りキャラではないその演技を観て、この作品は信頼できると思ったのを覚えている。

当時の僕は、青山吉能さんのことはよく聴いていたラジオ番組にゲストで出演しているのをお見かけしたことがある程度でお名前くらいしか知らず、出演作品を観たことはなかった。

こんなに素晴らしい演技をする声優さんなのに、それまで出演作を観たことがないことを後悔した。

ぼっちちゃんの人見知りキャラの描き方以外にもう一つ僕に刺さった要素がある。

それは舞台が下北沢であるという点。

『ぼざろ』の放送当時はまだ僕はお笑い芸人として活動していたので、下北沢の劇場で開催されるお笑いライブによく出演していた。
そんな毎月のように通う下北沢の街並みがアニメで表現されていたのである。

しかも、ぼっちちゃんの所属するバンド『結束バンド』の活動拠点である『STARRY』のモデルとなっているライブハウスの真向かいには僕がよく出演していた劇場があるのだ。

そんな馴染みしかない土地でぼっちちゃんたちが生きているというだけで、勝手に親近感が湧いてしまった。



◯音楽の力


共感しか感じない主人公のぼっちちゃんと馴染みのある下北沢。
主にこの2点が自分に刺さり、以降の2話〜4話まで視聴を続けることになった。

小気味良いテンポで繰り返されるぼっちちゃんの人見知りが故の奇行に笑わされながらも、共感できるポイントもある楽しい作品だなぁと感じていた。
ギャグシーンの異質さはきらら作品であるというのもフリになっていて、とても斬新に感じていた。

しかし、4話まで来てひとつ気付いたことがある。 

バンドものなのにライブシーンがない!

結束バンドが作中でしっかりと1曲演奏するシーンが4話までの時点で描かれていないのだ。

1クールアニメの4話といえば、全体の3分の1。
作品によってはそろそろ視聴をやめてしまう人も出始める話数である。

日常ものとしての面白さはあるけど、このままだとこの先飽きたりしちゃわないかなあと正直心配になっていた。

ライブシーンはなかったものの、OP・EDで結束バンドの楽曲が本格的なバンドサウンドであるという方向性は既に感じられてはいた。
しかも、EDに関しては4話からボーカルを変えた別の曲に変わるという気合の入りよう。

しかし、この曲たちが本格的すぎてこの時点では「あの個性の煮凝りみたいな集まりの結束バンドが本当にこんなカッコいい曲を演奏しているのか」と疑ってしまう状態になっていた。

後に知ったことではあるが、結束バンドの楽曲は決してキャラソンという立ち位置で作られていないということもこの疑いを抱くひとつの要素になっていたのかもしれない。

そんな僕の心を嘲笑うかのように第5話で衝撃のライブシーンを見せられることになる。

第5話は結束バンドがライブ出演をかけたオーディションに挑むというストーリー。

そこで主人公のぼっちちゃんは「成長とは何か」について考えることになる。ぼっちちゃんが「成長」というものにどういう結論を出したかは是非本編を観てもらいたいので割愛する。

僕がこのエピソードで好きなところは、初めてのライブシーンがオーディションという場面であるところである。

王道の流れながら絶対にライブ本番で演奏シーンを入れるところを、オーディションという本来ならスポットが当たりにくい場面を持ってきたところに胸を打たれた。

それだけバンドないしはアーティストというものの世界を誠実に表現しようとしているんだろうなと感じた。

バンドを含めたエンターテイメントの世界は華やかな部分だけを見られがちだが、そこに至るまでの辛く苦しいプロセスというものが確実に存在する。
それをアニメというある種現実性の薄いジャンルでしっかり描くところがたまらなく好きなのである。

そしてなにより、肝心のライブシーン自体のクオリティがバケモノ。
このシーンの凄さについてはこれまでさまざまなところでバンドマンや音楽関係のプロの方々が語ってくれている。
その道のプロを唸らせることが何よりのクオリティの高さの証明であろう。

そして、それほどのクオリティと熱量で作られたものの凄みは音楽の知識がほとんどない僕にも伝わってくるのである。



◯作り手と作品の親和性


5話以降はもう完全にこの作品の虜になり、そのまま最終回まで突っ走った。

僕はこれまで1クールのアニメで「○○ロス」みたいな感覚に正直あまりなったことがない。

もちろん観終わった直後は「終わっちゃったなぁ」としみじみとした気持ちになることはあるが、その気持ちを何日も引きずることはほぼない。

しかし、『ぼざろ』が僕の心に残した衝撃はあまりにも大きかった。
放送が終わったあとしばらく心の中は空っぽだったが、頭の中は『ぼざろ』でいっぱいだった。

そこからは原作や関連グッズを買い集め、作品のラジオを初回から聴き、インタビュー記事なども読み漁った。原作者のはまじあき先生の配信も見たりした。(漫画家の方が気軽に個人で発信するツールがあるっていうのはいい時代になったなと思った。)

とにかく『ぼざろ』を摂取させてくれ。そんな気持ちだった。

そんな感じで『ぼざろ』成分をオーバードーズする中で、この作品がいかに膨大な熱量のもと作られたかを知ることになった。

例えば、声優さんについて。

結束バンドのキャスト4人ついて放送当時はよく知らなかった。
お名前は聞いたことあるなぁとか、出演作をいくつか観たことあるなぁ程度だった。

そんな僕が今では4人のそれぞれの出演作やラジオやSNSをチェックしている。
4人が集まっているところを見ているだけで幸せな気持ちになれる。

限界すぎるだろ。

ラジオやインタビュー記事などを通してキャストの方々が作品とどう向き合ってきたかを知ると、その技術の凄まじさと作品に向けられた熱量をひしひしと感じることができた。

その姿があまりにも『結束バンド』だなぁと感じた。

『キャラクターの結束バンド』と『キャストの結束バンド』の関係性は必ずしもリンクしていない。

例えば、キャラクターとしては後輩にあたるぼっちちゃんと喜多ちゃんだが、その2人を演じる青山吉能さんと長谷川育美さんは結束バンドメンバーの中では声優としてのキャリアは先輩だったりする。

しかし、作品や表現に向かう姿勢は『キャラクターの結束バンド』そのものだと感じる

この親和性もまた『ぼざろ』というコンテンツの魅力の一つではないだろうか。

楽曲制作についても同様のことを感じる。

作中において結束バンドの楽曲はぼっちちゃんが作詞を担当、山田リョウが作曲・編曲を担当している。

しかし実際の結束バンドの楽曲はさまざまアーティストたちによって制作されている。

楽曲によって制作している人間が違うのにも関わらず、全ての楽曲が「ぼっちちゃんの歌詞」で「山田リョウの音楽」になっている

何故そう感じることができるのか。

作中で描かれるぼっちちゃんたち結束バンドメンバーが持つ表現への渇望や夢、挫折といった気持ちは全てのアーティストに通ずる感情だからではないだろうか。

プロのアーティストたちが一度は抱いたことがある感情を作中の結束バンドは抱えている。

だからこそぼっちちゃんが書く歌詞を、リョウさんが生み出す音楽を、アーティストのみなさんは表現できるのではないだろうか。

全く比べていいレベルではないけれど、僕も一度は何かを表現することを目指した人間である。

そんな僕にこの作品が刺さらないわけはないのである。



◯推しキャラは理想のリーダー


『ぼざろ』における僕の推しキャラは結束バンドのドラム担当の伊地知虹夏である。

面倒見の良いバンドのまとめ役の高校二年生。
そんな彼女の魅力は一体どんなところなのか。

まずはなんと言っても底抜けの明るさでバンドを引っ張るパワーである。常に彼女がアクション起こすことで結束バンドの活動が展開されている。
CVを担当している鈴代紗弓さんの聴くだけで元気をもらえるような声が、より虹夏の明るさを際立たせている。

ただ、彼女の明るいパワー由来の言動はともすれば強引と捉えることもできる。

ぼっちちゃんを半ば強制的にバンドに引き入れたり、作詞担当に任命したり、ノルマ代を稼ぐためにバイトさせたり、ワンマン社長かの如くぼっちちゃんに仕事を課して行く

その一方で、ぼっちちゃんのメンタルをケアすることも忘れない。適度なタイミングでぼっちちゃんの気持ちを確認する描写がある。

この強引さと繊細な気配りのバランスが絶妙なのである。

僕は主にぼっちちゃんに感情移入して、この作品を観ている。前述の通りぼっちちゃんのキャラクター性に強く共感する部分があるからだ。
人見知りで陰キャであるが故に自分を卑下しがちな一方で、隠しきれない承認欲求を抱えている。

そんなぼっちちゃんにとって、虹夏は「バンドがやりたい」という自分の夢を叶えてくれたヒーローである。
勇気がない自分を強引に引っ張ってくれつつも、ちゃんとこっちの気持ちも慮ってくれる。


そんな存在が俺にもいたらなぁ!!!!


そう、虹夏はぼっちちゃんのようなメンタリティを持つ僕にとって理想のリーダーなのである。

しかも、ぼっちちゃんもまた虹夏にとってのヒーローのような存在であることが、とある話数で語られる。

助けられていると思った相手を知らず知らずに助けている。

そんなぼっちちゃんと虹夏の尊い関係性に憧れを禁じ得ないのである。

とは言え、まあ残念ながら現実に虹夏のような存在はなかなかいない。

なんたって、彼女は下北沢の大天使なのだから。(原作コミックス2巻参照)



◯共感と理想の結晶



今回の記事を書こうと思ったきっかけは、現在公開中の劇場総集編前編を4回も観に行ったことだった。


公開初日に新宿の映画館にて

同じ映画を映画館で複数回観たのは人生で初めてだった。新作映画ならともかくテレビアニメの総集編である今作をなぜこんなにも取り憑かれたかのように観ているんだろう。

自分に対して若干の恐怖を抱き始めたので、改めて僕が感じている『ぼざろ』の魅力を言語化してみようと思ったのだ。

この作品の作画、演出、音楽、どれを取っても高クオリティであることはさまざなところで語られている。もちろん、そのクオリティの高さも魅力の一つである。

しかし、それ以上にぼっちちゃんの共感できるキャラクター性と、ぼっちちゃんが自分のペースで成長していく理想の世界がぼくにとっては魅力的に感じているのである。

以前書いた自己肯定感についての記事にあるように、僕は自分のことをあまり好きではない。

そんな僕でも何かに打ち込んでいれば、誰かに認めてもらえるかもしれない。
そんなことを夢見させてくれるのが『ぼっち・ざ・ろっく!』という作品なのだ。

何かに打ち込みながら、自分なりの成長を認めてあげる。

僕の人生において必要なことをこの作品は教えてくれているのかもしれない。

8/9公開の劇場総集編後編は何回観に行くことになるのでしょうか……


楽しんで頂けましたら、是非サポートよろしくお願いします! 今後のモチベーションになります!