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名も無き人生に捧げる言葉

私はこの世で立派だと言える人とは、
自分のできる分を一生懸命やった人だと思う。

失敗だらけでも、
頭が良くなくても、
学歴が無くても、
性格が悪くても、
うまくいかない時期があっても、
人を傷つけた時期があっても、
動けない時期があっても、
やけになっていた時期があっても、
どう生きたら良いか判らなくても、

その人なりに、
その人のできる分を
一生懸命やって生きた人だと思う。

ていねいに、

あるいは必死に、

手探りでも、

不器用でも、

お金をかせげなくても、

人からほめられなくても、

目立たなくても、

寝たきりでも、

思うように動けなくても、

普通でも、

地味でも、

一生懸命

生きた人だと思う。


それは、あたりまえではない。

実はとても難しいことだ。

人はどうしても、
見た目や、

一見、きれいに見えるだけの、
立派に見えるだけの、
肩書や、
経歴や、
たくさんのお金や
キラキラして見えるものに、

目がくらむ時期もあるからだ。


ずっと立派じゃなくて良い。
うまくいかない時期があっても良い。
どう生きたら良いか、わからない時期があっても良い。
迷っても、悩んでも、困っても、かっこ悪くても、なさけなくても、良い。

自分の分の人生を必死にでも、一生懸命、生きているなら、

それはとてもかっこよくて、
すばらしい事だ。

だから今、
うまくいっていない人も、
どうしたら良いかわからなくて、
もがいている人も、
情けなくなんかない。

今のあなたにとって、
できることをやっているなら、
それでいいんだ。

それだけですごい事なんだ。

私はそれを、
一生懸命生きた名も無き人達から学んだ。

言葉ではなく、
生きるその姿に教えてもらった。

立派じゃなくて良い。
キラキラしてなくて良い。

迷惑をかけても、必死に生きているならそれで良い。

だめじゃない。

自分のできる分を一生懸命やって生きているなら、
それはすごい事だ。

精いっぱい生きる姿で教えてくれた人達を、
心からすごいと思う。


私はこの、
言葉を紡ぐ力をもらって生まれてきた。

だから、
目立たなくても、
たくさんの人に評価されなくても、
自分の出来る事をして生きていこう。

出来るなら、
今、自分の手も見えないような暗闇にいる人の世界に灯る灯りとなるように。


これは姉妹のように育った従姉のお母さんが亡くなった時、お通夜の夜に書いた文章です。
「文章を書く」力に助けられた夜でした。
私は幼馴染や親友など、たくさんの死を経験して、いつもひどく打ちのめされてきたのですが、その夜もメールの下書きに書いたこの文章が、私の背筋を支え、前を向く力を与えてくれました。

文章は、誰かの生きる道を照らす光となる事もある。
私はそういう文章を書いて生きて行こう。
たくさんの支持も良い評価も無くていい。
自分が納得できる、自分が良いと思える文章を書いていく。
私自身も暗闇の中で生きていた時、「書く」事によって生かされてきたから、書く力と、その怖さを両の手に持って生きて行こう。

私の生もまた、名も無きものだとしても。


参考記事
私の不幸や苦労と「未来のあなた」の話
生き方がわからない人へ(幸せになる方法)

わたもりのカウンセリングのお店「メンタルコンサルティングTerra HP

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