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私記念日

愛されないことを感じて、自分の弱さ、できなさ、暗さに意識の矛先を向けて(矛先に他を向けても苦しくなるのみと経験した結果)自覚して、苦しむことと成長を同じものとして、苦しんでいく。苦しさに価値を感じていく。

そしてまた苦しんでも(努力しても)、愛されぬ事を目の当たりにして、苦しんでいき、貴重とされる今の時間をただ浪費、苦しさで覆わらせて終わっていく。否、続いていく、繰り返していく。

彼女が欲しいと言うけれど、ただ一人でいない権利を、一人でいる事に対する巨大化された自意識への免罪符を欲しいだけであるのかもしれない。


誕生日、私以外ではその日に生まれた人が一番大事にされてると思う日、贈り物やSNSやプレゼントで可視化されるその感情が、愛され度が、わたしには何もない、誰にも愛されぬ事を可視化される、その苦しさよ。




贈ることで、優しくする事でしか、相手に自分の価値を主張し、繋がれないと思ってる一部分における自己肯定感の低さ。
その贈り物が、優しさが忘れられ、私に向かってこぬ、その苦しさよ。



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