見出し画像

好き、インパー、私、攻撃力

-生の一切は、趣味と味覚をめぐる争いなのだ。-
                 ニーチェ


「好き」には、自分自身に向かった「好き」と他者に向かった「好き」に因数分解できると思っている。言い換えると、単純な感情での「好き」と、あるものを「好き」であると主張する事で周りから優れていると思われたいが為の「好き」の二つ。

 単純な感情での好き(以下、純好)は尊いと思う、大事にしていきたいし、してもらいたい。問題は後者の「好き」(以後、偽好)。多く見られるのは、音楽や服について。偽好は、自分自身を他の力を借りて大きく見せようとする。けしからん、けしからん。大抵、偽好はよ〜く見てるとバレてしまう。偽好者はセンスがない。知識はあるがセンスがない。服好きと言う割には、着ているファッションにはセンスがない。センスが育つはずがない。それだけならいいだろう。偽好者は他者にも押し付ける。相手の好きさえも評価してしまうのだ。センスがないのにだ。
 偽好者たちの好きは攻撃力100、純好者は、日々生きてく中での防御力100。好きを武器にしてはならない。好きは好きなものではないといけない。私の好きにも多少の攻撃力が含まれているだろうと思い哀しくなる、私の弱さに。

 という、インスタを見てての愚痴。ただの愚痴。そして戒め。好きなものを好きでいたい。本当に好きなものを好きと広く宣言できる人が羨ましいと思う夜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?